芥川

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もう丑の刻が近づいていた。しかし、二人はどちらも途中で話を終わりにするつもりはなかった。式部は幸せだった。今が人生で一番幸せだと思った。つつじの香りと藤の香りが混じり、幸せな季節であった。この季節がいつまでも、いつまでも続いてほしいと思った。式部は貫之の覚え書きに書かれてあったことを話しつづけた。
宇多法皇の書状を見た醍醐天皇と時平は、さすがに驚いた。道真は懸命に弁解した。
「これは新年のご挨拶を法皇様にお送りしたご返事のお手紙でございます。私のような者の娘を斉世親王様のような帝位を継ぐ素養を備えている立派な方の妻にしていただきありがたく存じておりますと挨拶いたしましたところ、法皇様は、斉世親王様には確かにそのような力はあるが、現在は醍醐天皇の御代であるから、誤解を招くような言動に注意して、臣下としてしっかりと支えてほしいとお叱りをいただいてしまったのでございます。まさかこんなことになりますのでしたら、このようなことは書くべきではなかったものを、我ながら何という軽率なことをしてしまったのか」
道真が頭を抱え、困っているので、時平は慰めた。
「右大臣殿、そこまで気にすることはありませんよ。この手紙を見れば、そのようなことは誰にでもわかることです。個人的な手紙のやりとりでは、誰もが同じようなことをやるものですよ。私にも覚えがあります」
時平は手紙を道真に返した。これですべて終わった。時平は帰り、道真も帰った。参拝を終えると、醍醐天皇も宮中に戻った。
道真の頭には律令制に基づく正統的な政治を行うことしかなかった。良房の日記を手に入れれば、藤原北家も下手に動けないから、自分の政策を実行できるだろう。そう思っていた。しかし、日記を持っている貫之は行方不明になってしまった。
時平は道真を尊敬していた。荘園制の廃止は困難だが、自分が武士勢力を抑えれば、何とかなるだろうと思っていた。道真抜きの政治は考えられなかった。今回の件は、握りつぶそうと思っていた。しかし、なぜ醍醐天皇は突然石清水八幡宮に行幸なさったのだろう。なぜ私に教えてくださらなかったのだろう。このことは時平に不審であった。後で訊いてみようと時平は思った。
大納言源光は道真の政策をやめさせたかった。しかし、時平とは意見の一致を見なかった。そこで、醍醐天皇に自分の考えを伝えた。醍醐天皇は源光に賛成した。光は、娘の春日姫と親しい伊勢が時折自邸に来るので、伊勢と話をするようになった。その伊勢を仲介として忠平と近づいた。忠平は宇多法皇の側近を装っているが、実は藤原氏による摂関政治が、現在の日本を運営するには最もよい方法だという意見を持っていることを知った。摂関政治を動かすには、その後ろ盾となる武士勢力を押さえることが重要だが、忠平は高子を通じて、武士の動きを掌握していた。貫之が良房の日記を宇多法皇と道真に奪い取られないよう、高子が動き出したことを知り、光はそれに協力することにした。貫之を石清水八幡宮に包囲したときに、醍醐天皇が居合わせたら、道真は謀反を働いたことになる。光からそれを聞いた醍醐天皇は、高子と東国の武士が動いていることも知り、計略に乗ることにした。知らなかったのは、荘園廃止派の時平だけである。光、醍醐天皇、忠平、高子は、荘園廃止派をつぶすため、まず、道真に照準を合わせた。大きな獲物を撃ち落とすときは、一つ一つ、丁寧に確実にやることだ。道真と時平をいっぺんに退治しようなどというのは、愚か者のすることである。道真のときは、道真に集中する。完全に仕留めたら、次に、また、周到に用意して、時平を仕留めるのである。
宮中の清涼殿殿上間で、光が道真攻略作戦を再開した。
「ところで、主上が石清水八幡宮に行幸なされたというのは、本当ですか」
「いや、ほんのお忍びだ」
「左大臣殿はご存知だったのですか」
時平は嘘を言うわけにはいかなかった。
「たまたま呼び出されたので、私もうかがいました」
時平は、嘘が苦手だった。
宇多法皇の書状を見た醍醐天皇と時平は、さすがに驚いた。道真は懸命に弁解した。
「これは新年のご挨拶を法皇様にお送りしたご返事のお手紙でございます。私のような者の娘を斉世親王様のような帝位を継ぐ素養を備えている立派な方の妻にしていただきありがたく存じておりますと挨拶いたしましたところ、法皇様は、斉世親王様には確かにそのような力はあるが、現在は醍醐天皇の御代であるから、誤解を招くような言動に注意して、臣下としてしっかりと支えてほしいとお叱りをいただいてしまったのでございます。まさかこんなことになりますのでしたら、このようなことは書くべきではなかったものを、我ながら何という軽率なことをしてしまったのか」
道真が頭を抱え、困っているので、時平は慰めた。
「右大臣殿、そこまで気にすることはありませんよ。この手紙を見れば、そのようなことは誰にでもわかることです。個人的な手紙のやりとりでは、誰もが同じようなことをやるものですよ。私にも覚えがあります」
時平は手紙を道真に返した。これですべて終わった。時平は帰り、道真も帰った。参拝を終えると、醍醐天皇も宮中に戻った。
道真の頭には律令制に基づく正統的な政治を行うことしかなかった。良房の日記を手に入れれば、藤原北家も下手に動けないから、自分の政策を実行できるだろう。そう思っていた。しかし、日記を持っている貫之は行方不明になってしまった。
時平は道真を尊敬していた。荘園制の廃止は困難だが、自分が武士勢力を抑えれば、何とかなるだろうと思っていた。道真抜きの政治は考えられなかった。今回の件は、握りつぶそうと思っていた。しかし、なぜ醍醐天皇は突然石清水八幡宮に行幸なさったのだろう。なぜ私に教えてくださらなかったのだろう。このことは時平に不審であった。後で訊いてみようと時平は思った。
大納言源光は道真の政策をやめさせたかった。しかし、時平とは意見の一致を見なかった。そこで、醍醐天皇に自分の考えを伝えた。醍醐天皇は源光に賛成した。光は、娘の春日姫と親しい伊勢が時折自邸に来るので、伊勢と話をするようになった。その伊勢を仲介として忠平と近づいた。忠平は宇多法皇の側近を装っているが、実は藤原氏による摂関政治が、現在の日本を運営するには最もよい方法だという意見を持っていることを知った。摂関政治を動かすには、その後ろ盾となる武士勢力を押さえることが重要だが、忠平は高子を通じて、武士の動きを掌握していた。貫之が良房の日記を宇多法皇と道真に奪い取られないよう、高子が動き出したことを知り、光はそれに協力することにした。貫之を石清水八幡宮に包囲したときに、醍醐天皇が居合わせたら、道真は謀反を働いたことになる。光からそれを聞いた醍醐天皇は、高子と東国の武士が動いていることも知り、計略に乗ることにした。知らなかったのは、荘園廃止派の時平だけである。光、醍醐天皇、忠平、高子は、荘園廃止派をつぶすため、まず、道真に照準を合わせた。大きな獲物を撃ち落とすときは、一つ一つ、丁寧に確実にやることだ。道真と時平をいっぺんに退治しようなどというのは、愚か者のすることである。道真のときは、道真に集中する。完全に仕留めたら、次に、また、周到に用意して、時平を仕留めるのである。
宮中の清涼殿殿上間で、光が道真攻略作戦を再開した。
「ところで、主上が石清水八幡宮に行幸なされたというのは、本当ですか」
「いや、ほんのお忍びだ」
「左大臣殿はご存知だったのですか」
時平は嘘を言うわけにはいかなかった。
「たまたま呼び出されたので、私もうかがいました」
時平は、嘘が苦手だった。