すいす物語

すいす物語
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  二〇二二年九月

 六ヶ月点検に行った。
「特に気になるところはございませんか」
「またやられました」
 仕事が終わり駐車場に行くとミライの左に細い線があった。ドライブレコーダーを見た。横を通り抜ける人がたくさん映っていた。しかし特定できなかった。
「このぐらいならなんとかなるかもしれません」
 三十分たった。
「ご確認いただいてもよろしいでしょうか」
 外へ出てみると、傷は跡形もなく消えていた。
「このぐらいですと、バフで磨くとなんとかなります」
 そんなにすごいものがあるのかと驚いた。
 調べてみると、洗車傷を磨いてピカピカにする道具だった。こんなものが存在することにも驚いたが、もっと驚いたのは、洗車をすると傷ができるという事実だ。きれいにするために洗車をするのに、洗車をすると傷ができるのである。つまり、大げさに言うと、ある目的のために行うことが、その目的にそぐわない事態をも引き起こしてしまうのである。
 それで、まったく関係のないあることを思い出した。
 ワイヤレスキーボードの調子がとても悪いので、スクリーンキーボードを使ってみることにした。キーをいちいちマウスでクリックするのである。できるだけの脱マウス化を目標としていたので、これは皮肉な結果となった。マウスを使わなくてもいいように、キーボードを使っていたのに、キーボードを使うためには、マウスが必要なのである
 では、スクリーンキーボードをやめたかというと、やめていない。設定などいじると、まあまあ使えるような気がする。それに、キーボードというものが机からなくなると、非常にストレスが少なくなる。書類を机に乗せて、入力する時間が多いから、キーボードレスキーボードは、快適である。昔と違い、ベタ打ち作業が減ったせいもあるだろう。選んだりコピーしたりですむことも多いし、予測変換が結構助けてくれる。これまでだれかと張り合うようにしてカシャカシャやっていたのは、なぜだったのかということまで思ってしまった。
 もちろん洗車もやめていない。洗車傷ができることを回避してきたない車に乗るよりは、よく見なければわからない洗車傷の付いたきれいな車に乗る方がいいと思うからだ。
 こういうことは、ほかにもあるかもしれない。よかれと思ってやることが多少裏目に出るが、だからといってやらないよりは、やはりやった方が断然よいということが、人間関係、勉強、仕事、趣味、いろいろありそうだ。(2022/08/28)
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 すいす物語
◆ 執筆年 2022年2月5日~