すいす物語

14
二〇二三年二月
冬の朝でも、ミライはすぐに走り出せる。
前のプリウスでは、暖機運転をしてから出かけたものだが、ミライはその必要がない。電気モーターというのは、温めなくても調子よく回るようだ。シートヒーターがすぐ作動するから、体も寒くない。ハンドルヒーターもすぐ作動するから、手も寒くない。
朝、時間に余裕のある時は、できるだけゆっくり走る。加藤周一の本に、ゆっくり運転するタクシードライバーの話がある。ある若い女性の客は急いでいた。「もっと速く走れないの?」と、じれったがる。「街道一ゆっくり走るドライバーになりたいんだ」と、ドライバーは、まったく動じない。女性は、自分の用事がそんなに急がなければならないほど重要ではないような気になり、キャンセルしてしまう。そして、タクシードライバーとゆっくりドライブする。昔読んだそんな話が、なぜか頭の片隅に残っていて、余裕があるときは、なるべくゆっくり走るようにしている。
ゆっくり走るには、回送バスのうしろを、レーダークルーズで走るのがいちばんいい。これだと、ブレーキとアクセルを使うことは、ほとんどなくなる。そして、熱いコーヒーを飲みながら、音楽を聴く。観光バスに乗って、くつろいでいるような気分になってくる。ほかの車がどんどん追い抜いていく。みな、なんであんなに急いでいるのだろうと思う。だれかより先に職場に到着したいのだろうか? 行きずりの車と競争しているのだろうか? せっかくの早朝ドライブなのだから、そんなことはやめて、くつろいだ気分で運転すればいいのに。
音楽アプリを利用するようになってから、年代順に曲を聴いている。何年の日本で流行した曲を聴いたら、今度は洋楽に移る。その年の曲は、たくさんあるので、全部聴き終わるまで何時間もかかる。しかし、時間はたっぷりある。あせる必要はないのである。
その年が終わると、その年の歌手の中で、もう少し聴いてみたいのを、検索してみる。その歌手がデビューしたときからのアルバムがたくさん出てくる。試しに、二、三枚ダウンロードして聴く。こういう寄り道をすると、ますますはかどらなくなるが、あせる必要はない。音楽アプリの会員でいる限り、いくらでも聴くことができるのである。
こういうことをしていると、CD時代との変化を感じる。
CD時代は、予算的な制約のため、限られた音楽しか知ることができなかった。限られた音楽から、新たな音楽に展開しようとしても、結局は、似たような雰囲気の音楽が増えるだけである。かといって、冒険するのは怖い。ところが、音楽アプリは、いくらでも冒険ができる。いくら冒険しても、定額料金を払えばいいだけである。月に必要な支出は、CD一枚分にもならない。
そんなことをしていると、自分が絶対に聴かないはずの音楽に、いいものがたくさんあることがわかる。なんで今まで自分はこういうものを聴かなかったのだろうかと思う。
そう考えると、自分の好きなものは、こういうものだなどということも、あてにはならない。自分の部屋に並んでいるCDを眺めると、自分は今までこれが自分だと思っていたのかと不思議になる。食べる物や本なども、これと同じことがいえるかもしれない。(2023/1/21)
冬の朝でも、ミライはすぐに走り出せる。
前のプリウスでは、暖機運転をしてから出かけたものだが、ミライはその必要がない。電気モーターというのは、温めなくても調子よく回るようだ。シートヒーターがすぐ作動するから、体も寒くない。ハンドルヒーターもすぐ作動するから、手も寒くない。
朝、時間に余裕のある時は、できるだけゆっくり走る。加藤周一の本に、ゆっくり運転するタクシードライバーの話がある。ある若い女性の客は急いでいた。「もっと速く走れないの?」と、じれったがる。「街道一ゆっくり走るドライバーになりたいんだ」と、ドライバーは、まったく動じない。女性は、自分の用事がそんなに急がなければならないほど重要ではないような気になり、キャンセルしてしまう。そして、タクシードライバーとゆっくりドライブする。昔読んだそんな話が、なぜか頭の片隅に残っていて、余裕があるときは、なるべくゆっくり走るようにしている。
ゆっくり走るには、回送バスのうしろを、レーダークルーズで走るのがいちばんいい。これだと、ブレーキとアクセルを使うことは、ほとんどなくなる。そして、熱いコーヒーを飲みながら、音楽を聴く。観光バスに乗って、くつろいでいるような気分になってくる。ほかの車がどんどん追い抜いていく。みな、なんであんなに急いでいるのだろうと思う。だれかより先に職場に到着したいのだろうか? 行きずりの車と競争しているのだろうか? せっかくの早朝ドライブなのだから、そんなことはやめて、くつろいだ気分で運転すればいいのに。
音楽アプリを利用するようになってから、年代順に曲を聴いている。何年の日本で流行した曲を聴いたら、今度は洋楽に移る。その年の曲は、たくさんあるので、全部聴き終わるまで何時間もかかる。しかし、時間はたっぷりある。あせる必要はないのである。
その年が終わると、その年の歌手の中で、もう少し聴いてみたいのを、検索してみる。その歌手がデビューしたときからのアルバムがたくさん出てくる。試しに、二、三枚ダウンロードして聴く。こういう寄り道をすると、ますますはかどらなくなるが、あせる必要はない。音楽アプリの会員でいる限り、いくらでも聴くことができるのである。
こういうことをしていると、CD時代との変化を感じる。
CD時代は、予算的な制約のため、限られた音楽しか知ることができなかった。限られた音楽から、新たな音楽に展開しようとしても、結局は、似たような雰囲気の音楽が増えるだけである。かといって、冒険するのは怖い。ところが、音楽アプリは、いくらでも冒険ができる。いくら冒険しても、定額料金を払えばいいだけである。月に必要な支出は、CD一枚分にもならない。
そんなことをしていると、自分が絶対に聴かないはずの音楽に、いいものがたくさんあることがわかる。なんで今まで自分はこういうものを聴かなかったのだろうかと思う。
そう考えると、自分の好きなものは、こういうものだなどということも、あてにはならない。自分の部屋に並んでいるCDを眺めると、自分は今までこれが自分だと思っていたのかと不思議になる。食べる物や本なども、これと同じことがいえるかもしれない。(2023/1/21)