すいす物語

27
二〇二四年三月
水素ステーションのメンテナンスが終わったので、ミライに水素を入れにいった。
なにが変わったということもないのであろうが、なんとなく前とは違うような気もする。
持ち手のところが乾いていて、手が濡れなくなった。前は、手が濡れて、いやだなと感じることもあった。特に、前の車が入れて間もないと、そういうことが多いような気がした。また、車の水素タンクと接触する部分には、たいがい水滴がたくさんついていて、それをエアーガンで吹き飛ばさなければならないのだが、いまは、水滴がついているような気がしないし、エアーガンはあまりしなくてもいいような気もしてきている。ただし、これは決まりなので、やはりしなければならない。
いちばん大きく感じるのは、時間だ。だいぶ短くなった。もう、ほとんどガソリンを入れる時間と同じなのではないかという気がする。
これからも、少しずつ進化していくのだろう。
進化というと、前もここに書いたことではあるが、音楽アプリは、やはり便利である。この前に書いてから、音楽アプリ自体が特段進化したという感じもしないが、それでも、プレイリストなどは、日々豊富になっているような気もする。
ほんとうにCDを聴かなくなってしまった。聴かなくなると、邪魔に思うようになるものである。前にも、そのうちに処分しようかと思うと書いたが、現在ほんとうに処分を始めている。念のため、CDをパソコンに読み込んでから処分するので、少しずつではあるが、棚からはだいぶCDがなくなった。
音楽アプリは、ぜいたくな聴き方ができる。たとえば、一人の歌手の全アルバムを聴くことなど、昔は、それなりにお金のかかることであったから、なかなかできなかった。しかし、それをしても、経費的な面でまったくなんの問題もないのである。また、本を読んでいてでてきた曲を探して聴くなど、昔はそれなりに大変であったし、そういう聴き方を続けていると、どんどんCDが増え、お金がなくなったものだが、それもまったく問題がない。
そういうわけで、七〇年間ぐらいのヒットチャートを通しで聴くということをしてみている。これは、根気のいる取り組みではあるが、たまに得ることもある。六〇年代、七〇年代、八〇年代ぐらいまでで、それ以降というのは、どうもあまり気が進まないので、これまでいつも固定された年代の音楽を聴くことが多かったが、九〇年代に突入し、〇〇年代も突破し、一〇年代中ごろに入った。
その結果、思ったのは、やはり自分の偏見というものが、自分の知らないものの侵入を妨げているのだなということと、どの時代も、人間の根底にある思いというものは、それほど違わないのだなということだった。
一〇年代に、まるで七〇年代のロックのようなことをやっている人がいることを知って、びっくりした。これは、七〇年代の音楽が好きな人には、けっこういいかもしれないと思った。声の質とか和音、転調が、とてもいい感じである。それで、この歌手の曲をずっと聴いていたら、吉田拓郎が妙に聴きたくなり、またしばらく聴いていた。(2024/1/27)
水素ステーションのメンテナンスが終わったので、ミライに水素を入れにいった。
なにが変わったということもないのであろうが、なんとなく前とは違うような気もする。
持ち手のところが乾いていて、手が濡れなくなった。前は、手が濡れて、いやだなと感じることもあった。特に、前の車が入れて間もないと、そういうことが多いような気がした。また、車の水素タンクと接触する部分には、たいがい水滴がたくさんついていて、それをエアーガンで吹き飛ばさなければならないのだが、いまは、水滴がついているような気がしないし、エアーガンはあまりしなくてもいいような気もしてきている。ただし、これは決まりなので、やはりしなければならない。
いちばん大きく感じるのは、時間だ。だいぶ短くなった。もう、ほとんどガソリンを入れる時間と同じなのではないかという気がする。
これからも、少しずつ進化していくのだろう。
進化というと、前もここに書いたことではあるが、音楽アプリは、やはり便利である。この前に書いてから、音楽アプリ自体が特段進化したという感じもしないが、それでも、プレイリストなどは、日々豊富になっているような気もする。
ほんとうにCDを聴かなくなってしまった。聴かなくなると、邪魔に思うようになるものである。前にも、そのうちに処分しようかと思うと書いたが、現在ほんとうに処分を始めている。念のため、CDをパソコンに読み込んでから処分するので、少しずつではあるが、棚からはだいぶCDがなくなった。
音楽アプリは、ぜいたくな聴き方ができる。たとえば、一人の歌手の全アルバムを聴くことなど、昔は、それなりにお金のかかることであったから、なかなかできなかった。しかし、それをしても、経費的な面でまったくなんの問題もないのである。また、本を読んでいてでてきた曲を探して聴くなど、昔はそれなりに大変であったし、そういう聴き方を続けていると、どんどんCDが増え、お金がなくなったものだが、それもまったく問題がない。
そういうわけで、七〇年間ぐらいのヒットチャートを通しで聴くということをしてみている。これは、根気のいる取り組みではあるが、たまに得ることもある。六〇年代、七〇年代、八〇年代ぐらいまでで、それ以降というのは、どうもあまり気が進まないので、これまでいつも固定された年代の音楽を聴くことが多かったが、九〇年代に突入し、〇〇年代も突破し、一〇年代中ごろに入った。
その結果、思ったのは、やはり自分の偏見というものが、自分の知らないものの侵入を妨げているのだなということと、どの時代も、人間の根底にある思いというものは、それほど違わないのだなということだった。
一〇年代に、まるで七〇年代のロックのようなことをやっている人がいることを知って、びっくりした。これは、七〇年代の音楽が好きな人には、けっこういいかもしれないと思った。声の質とか和音、転調が、とてもいい感じである。それで、この歌手の曲をずっと聴いていたら、吉田拓郎が妙に聴きたくなり、またしばらく聴いていた。(2024/1/27)