すいす物語

すいす物語
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 二〇二四年五月

 ミライで走りながら、いろいろな音楽を聴く。
 いままで聴かなかったようなものも手軽に聴くことができる。
 音楽アプリだと聴き放題だからだ。
 いままで聴かなかったのは、最近の日本の音楽である。
 聴いてみると、やはり自分の思い込みとはまったく違うものだった。
 そして、やはりいいものがたくさんあるのである。
 それから、いろいろと気づくことがある。
 なんとなくぼんやりと思っていることは、次の二つのことである。
 一つは、ストーリーとモノローグというようなことである。
 昔の歌はストーリー性があって、映画でも観ているような気になったものである。地方から東京へいった男の人とその恋人の女の人の手紙のやりとりを歌にしたものなどは、典型的な例であろう。季節の移り変わりとともに、男の人の心が変わっていく。ついに、都会に染まった男の人は、女の人に別れを告げる。女の人の方は、最初の手紙から、都会にいく以前の男の人のままでいてほしいといっているが、やがてその願いはむなしく終わりそうだということがわかり、男の人に最後のささやかな願いを伝えて、この歌は終わる。ほんの二、三分の短い時間に、長期間にわたる長距離恋愛のカットが頭の中のスクリーンに映写されて、はらはらしながら見入っている気分になる。このように、昔の歌は、情景や場面がまざまざと浮かび、現実から遠く離れた世界に連れていかれるような気がするものであった。
 一方、一九九〇年代以降の歌は、モノローグ的なものが多いような気がする。
 男の人への思いを切々と語る女の人。別れた女の人に自分が悪かったと心の中でずっと謝っている男の人。恋の歌だけではなく、どう生きるべきかを伝えたり、人間としてあるべき姿を示したりするメッセージ性の強いものが多いのも、一九九〇年代以降の歌の特徴に思われる。思いや訴えたいことが強く胸を突くのだが、ただ不思議なことに場面や情景はなかなか描くことができないものが多い気がするのだが、どうだろうか。
 もう一つは、女性の歌う歌がだいぶ変わったということである。
 もちろん男性の歌う歌も変わったのだが、それがどう変わったのかは、あまりよくわからない。ただ女性の歌の変化については、少し理解できるところもあるのである。
 昔は、男性に自分のすべてをささげたいという女性の歌が多かったような気がする。自分は犠牲になっても、男性に尽くしたいというのだ。これは、当時の女性がほんとうにそう思っていたということではないだろう。女性は社会制度的に男性についていくようにしないと、生きづらかったということがあるし、そういう女性の言葉を聞きたがる男性が聞いてくれるような歌を、レコード会社が優先的に発売したということもあるだろう。
 一方、一九九〇年代以降の歌は、女性が自分の生き方を自ら選び取るようになったと感じさせるものが多くなったと思う。結婚を決めるような内容の歌でも、昔はあなたに従っていきますという感じだったが、今はこれが私の考えなので、あなたはそれを理解して、しっかり守ってほしいという感じになっているような気がする。(2024/3/17)
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 すいす物語
◆ 執筆年 2022年2月5日~