すいす物語

すいす物語
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 二〇二四年六月

 最近、非常に物価があがった気がする。
 水素も六月から四〇〇円値上がりする。
 水素はそのうち安くなると思っていたので、残念だ。
 ところで、前回、昔の歌はストーリー性があると書いた。そういう歌を聴いていると、昔の情景が思いだされる。今回は、そんな歌について書いてみたい。
 去っていった恋人の幻影を追い求める歌は多いが、これもその一つである。
 『私鉄沿線』。一九七五年発表。山上路夫作詞。野口五郎が歌った。
 この歌は、三番まであるが、恋人が去っていったことは、二番の後半までわからない。一番は、駅の改札口、ホームに到着した電車、駅前商店街の花屋と喫茶店が描かれる。恋の破局は直接書かれない。私鉄の駅で頻繁に「君」と待ち合わせをし、駅前の喫茶店を利用していたことがわかるだけである。くり返しになるが、恋人が去っていったことは、二番の後半までわからない。いや、それはたしかにそうなのだが、実はそれを暗示する内容はすでにある。それは次の箇所である。

 改札口で君のこと いつも待ったものでした
 電車の中から降りて来る 君を探すのが好きでした

 これは一番の冒頭の二文である。「待ったものでした」、「好きでした」と、文末が過去形で終わっている。つまり、恋人と幸福に過ごした時間が過去のものであることを暗示している。しかも、このあと、喫茶店の店員から、いつもいっしょにくる人がいないがどうかしたのかと尋ねられる場面もある。それで、だんだん破局したことがはっきりしてくる。すると今度は「君」が「ぼく」のもとをどのように去っていったのか、どうしても知りたくなる。二番は、聴かないわけにはいかないのである。
 しかし、二番を聴いても、「ぼく」の部屋を頻繁に訪れていた「君」が、ある日突然音信不通になったということしかわからない。いったい「君」はなぜこなくなったのだろうか。心変わりしたのか。それはあるかもしれない。しかし、事故や病気など、ほかの原因も排除できない。そう思う「ぼく」は、駅の伝言板にメッセージを書かずにはいられない。
 昔は、駅に伝言板があった。スマホもなかったから、待ち合わせをしている相手になにか伝えなければならないとき、これぐらいしか頼るものがなかった。
 「君」は急病で入院し、それを伝えたいが、親にはいえなくて困っているのではないか。電話も掛けられない状況なのかもしれない。しかし、だれかにこっそり頼んで、手紙をくれるのではないか。そう自分にいい聞かせるが、いつまで待っても手紙はこない。住所を書いたメモが見つからないのだろうか。ならば、友達かだれかに頼んで、駅の伝言板に病院の名前など書いてもらってはいまいか。そんなことを期待して、今日も「ぼく」は駅に足を向ける。しかし、今日も「君」からの伝言はない。あるのは「ぼく」の伝言だけである。またこの駅にこられるようになった「君」にあてた「ぼく」の伝言だけである。(2024/4/27)
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 すいす物語
◆ 執筆年 2022年2月5日~