すいす物語

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 二〇二四年九月

 水素の貯蔵・運搬に便利なMCHは二〇一一年に千代田化工が開発したものだが、ENEOSも技術を確立したようだ。トルエンに水素を結合させると、常温で液体の状態として、水素を輸送できるので、非常に扱いやすいのである。既存のタンカーにそのまま詰めるので、設備コストも抑えられる。運んだらMCHから水素を取りだす。すると、トルエンだけ残る。これをまたタンカーで水素供給地に輸送する。あとはこれを繰り返すだけである。ENEOSは二〇三〇年代にMCHを社会実装する予定だ。やはり三〇年代には水素は安くなりそうだ。
 しばらく鉄道関係の歌が続いていた。今回はその路線を変更して、車関係の歌について少し書いてみたい。
 『中央フリーウェイ』。一九七六年、荒井由実作詞、作曲、歌。松任谷正隆編曲。
 高速道路建設は戦前から構想があったが、諸事情があり、また戦争もあり、やっと実現したのが一九六〇年代である。一九六三年から一九六五年までに名神が最初にできて、ついで一九六八年から一九六九年までに東名ができた。ただ中央道は東名に先立って、一九六七年に調布・八王子間が開通している。しかし、全線開通までに非常に時間がかかり、完成は一九八二年である。それはともかく、『中央フリーウェイ』が発表された当時は、マイカーに乗って、ぴかぴかの高速道路で、遠方までドライブするという、それまで夢にみることしかできなかったことが実現したのである。この歌には、そういうこの時代の人々のきらきらした表情が、実にうまく撮影されている。

 中央フリーウェイ 調布基地を追い越し 山にむかって行けば
 黄昏がフロント・ガラスを 染めて広がる

 高井戸・調布間が開通したのは一九七六年だったから、この歌の二人は、高井戸インターができる前の中央フリーウェイを調布から乗ったのかもしれない。そう仮定しよう。
 都内からきた二人は、調布インターで中央フリーウェイに乗り、八王子あたりまでドライブする。あるいは、相模湖、もっと先の河口湖までいくのだろうか。

 中央フリーウェイ 右に見える競馬場 左はビール工場
 この道は まるで滑走路 夜空に続く

 この歌詞に描かれているものは、現在も残っている。調布基地、競馬場、ビール工場。高速道路はたしかに滑走路に似ている。そのまま離陸して夜空に飛び立っていきそうである。
 このころは、新しいアスファルトの道を車で走るだけでも、なんだかとてもうれしかったものである。まだ、未舗装の道も多かったから、高速道路に乗ることは、まだまだ憧れであった。
 こうして、交通網は鉄道から道路へと移り変わっていくのだった。(2024/5/5)
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 すいす物語
◆ 執筆年 2022年2月5日~