すいす物語

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 二〇二四年十月

 水素基本戦略が令和五年六月に改定された。二〇五〇年カーボンニュートラル宣言とロシアのウクライナ侵略が水素戦略を強く推し進める要因になっているようだ。各国も水素を重視しているらしい。アメリカは一〇年以内に水素一キロを一ドルにするらしい。これは安い。早く日本もそうしてほしい。日本は、二〇三〇年に一キロ三三四円、二〇五〇年に一キロ二二二円にする予定だ。アメリカはやはりすごい。前回の基本戦略にはなかったと思うが、今回はMCH(メチルシクロヘキサン)に触れている。ブルネイで製造した水素をMCHに変換して輸送し、日本で取り出すことを、二〇二〇年一二月に実証したとあるが、これは千代田化工のSPERA水素のことである。これにより大規模海上輸送を実現し、水素供給コストの低減を目指すと書いてあるから、これからは本格的に水素が出回りそうだ。
 前回鉄道関係の路線を変更して、車関係の歌を始めたので、今回もそれを継続したい。
 『真夏の出来事』。一九七一年、橋本淳作詞、筒美京平作曲、平山三紀が歌った。
 暗い中を車に乗ってどこかへいくというのは、それだけでなんだかとても楽しい気分になるものである。それは、昼から走っていて、いつしか夕暮れになり、そして夜が更けるというのもいいものである。夜にでかけて、真夜中にどこかにつくのもいいものである。夜か真夜中にでかけて、明け方にどこかにつくのもいい。夜明け近くのまだ暗いころにでかけ、午前中か昼過ぎに目的地につくのもまたいいものである。真夏の夜、夜通し車で走るのは格別である。この歌をきくと毎回そういうことを思う。

 彼の車にのって 真夏の夜を 走りつづけた
 彼の車にのって さいはての町 私は着いた

 この歌をきいていて、夏の感じがすごくするのは、歌詞のせいだけではない。この曲がまた、非常に夏っぽい。それから平山三紀の声と歌い方がとても夏っぽいのである。
 「さいはての町」とは、どこだろう? そう思いながらいつもきいている。勝手に北海道の最果ての町を思い描く。しかし、考えてみるとそれはおかしい。本州から北海道にいく場合、フェリーを使わなければ車ではいけない。これだと、夜はフェリーで寝てしまうから、車で夜通し走ったことにならない。それに、途中でフェリーに乗るのでは、この歌の感じはどうしてもでないのである。では、最果ては青森だろうか? これもちょっと違う気がする。夜中走って東京あたりからつくところがよさそうだ。しかも、現在のように高速道路やバイパスが整備されていなかったであろう一九七〇年代、いや、一九六〇年代のことである。では、どこだろうか? どこかへずっと走り続けて、果てまできたと思うようなところは。このあとの歌詞をみると、海がなければだめである。だから、当然群馬の方に走ってはだめだ。新潟までいくのなら、群馬方面を目指してもいいが、それでは朝の海には間に合わないのではないだろうか。九十九里浜や大洗でもだめだろう。最果て感がない。最果て感がでるのは、やはり岬である。房総半島、三浦半島、伊豆半島あたりだろうか? 調べてみたら、三浦半島の油壺が舞台なのだそうだ。(2024/8/2)
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 すいす物語
◆ 執筆年 2022年2月5日~