すいす物語

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 二〇二四年十二月

 HySTRAについて調べてみた。シェルとイワタニと川崎重工業が中心になって取り組んでいるプロジェクトのようだ。オーストラリアの褐炭から水素を作り、液化水素にして日本に輸送するというものだ。これが水素インフラの主要なものの一つになるのは、間違いなさそうだ。
 特に、イワタニは、水素の普及に向けて、供給網の整備に非常に力を入れている。今から四十年ぐらい前に、イワタニの創業者は、「二十一世紀は水素が世の中を変える」と語った。こういう企業にどんどん頑張ってもらって、水素ステーションをどんどん増やしてもらいたいものだ。
 今回の関係ある歌は、松田聖子の『瞳はダイアモンド』と、中森明菜の『飾りじゃないのよ涙は』を取りあげてみたい。これは、このまま制作順である。
 『瞳はダイアモンド』。一九八三年、松本隆作詞、呉田軽穂作曲。
 この時期の松田聖子の歌は、松本隆と呉田軽穂によるものが多い。この時期というのはどのあたりかというと、『赤いスイートピー』あたりからだ。呉田軽穂という名前では、よくわからない人が多いと思うが、これは実は松任谷由実のことである。彼女は松田聖子の作曲をするときは、たいてい呉田軽穂という名前を使っているのである。ハリウッドの映画女優であるグレタ・ガルボからきているそうである。とにかく、『赤いスイートピー』から『瞳はダイアモンド』あたりまでは、圧倒的に松本隆作詞、呉田軽穂作曲の歌が多い。呉田軽穂でないときは、細野晴臣や財津和夫と、すごい顔ぶれだ。そして、松本隆作詞はこのあたりでは不動である。

 Ah 泣かないで MEMORIES
 私はもっと強いはずよ
 でもあふれて止まらぬ
 涙はダイアモンド

 当時は、作詞家には遊び心があったということを、前回に書いたが、まさにこの歌詞を完全に否定するかのような歌を、当時松田聖子のライバル的存在であった中森明菜に歌わせるのであるから、ほんとうにおもしろいものである。

 飾りじゃないのよ涙は HA HAN
 かがやくだけならいいけど HO HO
 ダイヤと違うの涙は HA HAN

 この部分がいちばん『瞳はダイアモンド』との違いがはっきりわかるだろう。これを当時の人々は、松田聖子が「涙はダイアモンド」っていっているのに、中森明菜はそれを真っ向から否定して、「ダイヤと違うの涙は」っていっているよと、おもしろがったわけである。
 『飾りじゃないのよ涙は』。一九八四年、井上陽水作詞作曲。
 中森明菜はツッパリ系を代表するアイドルで、そういう意味では山口百恵の路線を継承しているといってもいいのだが、それは、おそらく中森明菜を手掛けたスタッフたちが、そのように演出したのだろう。かわいらしさを前面にだしている松田聖子に対抗するためには、同じ路線よりは、ツッパリ系の方が、引きつけるものがあったのだろう。とにかく、二人が一九八〇年代の二強女性アイドルであったのは、間違いない。(2024/8/23)
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 すいす物語
◆ 執筆年 2022年2月5日~