按察

按察
prev

4

 雁の群れが一列になって、夕日に吸いこまれていった。松風が寒い。従者たちが火桶を運んできた。たちまち膳が並べられ、僧都自ら右大将に酒を注ごうとした。右大将は断ったが、あなたのお屋敷に人をやったから、今日はお泊まりくださいと僧都に言われ、断りきれなくなった。まずは僧都に注いだ。つぎに右大将が注がれた。体が温かくなり、気持ちが落ち着いてゆく。ほぐれた心に、僧都の声が、緩やかにしみ通っていった。右大将は、自分がこれまで知らなかった姉のこと、父のこと、帝のことを知らされた。それだけでも右大将には十分衝撃の大きいことだったが、僧都の話はたびたびこの世界を動かしている流れのことにまで及んだ。それは、右大将が今までまったく思い付きもしないことだった。右大将は、話を聞いているうちに、次第に自分の存在の小ささと自分の置かれている位置の危うさを思い知らされずにはいられなかった。
 僧都は延々と夜が白むまで、以下のようなことを語った。

 宣耀殿(せんようでん)には、居場所がなかった。
 宣耀殿女御(せんようでんのにょうご)は、自邸が恋しかった。弟が父に漢文を習う傍らに坐して、父の明瞭な朗読と、弟のこれも明瞭な朗読を聞くのが、好きだった。
「ふう」
 右近が宣耀殿女御の御前に進み出た。
「どうかなさいましたか? 深い溜息をおつきになって」
 女御は顔を上げ、微笑んだ。
「どうもしませんよ。葉が落ちていくのを見ていたら、急に寂しくなっただけよ」
「本当に、このところ急に冷え込んで、秋ももう終わりでございますね」
「それで、何か御用?」
 右近は自分の任務に戻った。親しみやすく、部下に優しい宣耀殿女御と話をしていると、右近は自分の職務を忘れて、話に興じることがままあった。右近だけでなく、宣耀殿の女房たちは、みなそうであった。
 世間でもてはやされている名家の貴公子たちは、何かしら口実を付けて、宣耀殿に立ち寄り、女房たちと話にふける。時には、御簾越しに女御に言葉をかける者さえある。後宮に男性が出入りするなど、本来許すまじきことであるが、名家の貴公子という者は、得てして姉や妹、母や娘といった肉親が後宮のそこかしこに一人や二人は必ずいるものであるから、そういった縁故を真葛(さねかずら)のつるのようにたぐって、うまいこと内侍(ないし)や女房をつかまえる器用な連中が多いのである。宣耀殿女御は権大納言(ごんだいなごん)の娘であるから、当然肉親や縁者に公卿は多く、彼らも明るく開放的な宣耀殿に仕える女房たちに会いにくることを、非常な楽しみとしていたのである。実はこういったことも、宣耀殿女御の憂いの種にならないことはなかった。宣耀殿女御は目立って容貌が優れ、性格がおっとりとして愛らしいから、帝の寵愛を一身に受けるだけでなく、後宮に群がる公卿たちの人気まで全部さらっていた。したがって、他の女御たちや更衣たちがこれを不愉快に感じないわけはないのであって、わけても左大臣の娘である皇后の悔しがり方は尋常ではなかった。
 皇后や他の女御たち、あるいは更衣たちという者は、表面上は誰に対してもにこやかに接するものだ。まったく虫も殺したこともないという顔をしている。しかし、内面というものは、なかなか激しいものがあるのである。
 この宣耀殿という殿舎(でんしゃ)は清涼殿(せいりょうでん)から遠かった。
 天皇の住居である清涼殿の北には、弘徽殿(こきでん)と飛香舎(ひぎょうしゃ)(藤壺)がある。皇后は飛香舎に住んでいる。皇后は、帝がまだ皇太子のころ、一番最初に入内したのである。
 清涼殿の東には、承香殿(しょうきょうでん)がある。ここも重要な殿舎である。ここには、帝が二番目に結婚した斎宮女御(さいぐうにょうご)が住んでいる。斎宮女御は親王と宣耀殿女御の伯母の娘なので、宣耀殿女御の従姉妹(いとこ)である。従姉妹とはいっても、一方は親王の娘で、一方はただ人(びと)の娘。品(しな)が違いすぎますと、宣耀殿女御が言うと、斎宮女御は、たいして違いませんよと慰めてくれるが、宣耀殿女御は、この格段に高雅な従姉に、常に引け目を感じていたのである。
next

【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 按察
◆ 執筆年 2023年8月5日