按察

10
殿上(てんじよう)の間の朝は寒かった。奥で主上と関白が協議を続けている。殿上の間では、権中納言と蔵人頭が堅くなって座っている。炭櫃の火がだいぶ弱くなっていた。二人は寒さに震えながら、じっと我慢していた。主上と関白は協議に没頭し、二人のことを気にする余裕がない。やっと女官の一人が気がついて、炭を山盛りした。女官は盛んに炭を熾し、顔を赤くした。権中納言と蔵人頭は暑さに閉口することになった。茹で蛸のようになっていると、主上に呼ばれた。
「なんだ、お前たち、こちらが頭を悩ませているというのに、そんなに真っ赤な顔になるほど、酒を飲んでいたのか」
「いえ、いえ、とんでもございません。女官が火を強くしたものですから、すっかり上気いたしてしまいました」
「こちらでは頭を抱えて真剣に討議しておるのに、お前たちは、ぬくぬくと炭火で暖まっていたのか」
「申し訳ございません」
二人は深く頭を下げた。
主上はそれには応じず、腕組みをした。
「お前たちは、本当に皇后をそそのかしたというのだな?」
関白の低い声が部屋に響いた。
「はい、申し訳ございません」
「なぜ、そんなことをしたのだ?」
権中納言は黙っていた。蔵人頭が口を開いた。
「はい、宣耀殿女御様が姉上のところへは、一度もお訪ねくださらないことを聞きましたので、それならば、訪問なさったらどうかと勧めましたが、どうも気が乗らないようで……」
「何を言う! 宣耀殿は何度も皇后に挨拶に行ったが、都合が悪いといって、いつも門前払いを喰わされたと言っておったぞ」
主上は蔵人頭に顔を近づけた。
「はい、それは確かでございます。宣耀殿女御様がお見えになるときに限って、体調が悪くて寝込んでいたり、入浴中であったり、物の怪に悩まされて僧都から加持祈祷を受けていたりしたのです」
「そんなに五度も六度も都合が悪くなるものか!」
「いや、本当なのでございます」
「まあ、よい」
五十半ばの関白は、三十ほどの帝と二十にはまだ遠い蔵人頭の間に、割って入った。
「では、お前たちは、皇后に宣耀殿女御の姿を一目見せようと思い、壁に穴を開けたと、そういうことでよいか」
「その通りでございます」
「では、食器を投げつけることは、お前たちがそそのかしたわけではないということでよいか」
「はい」
今度は権中納言が即答した。弟の蔵人頭は黙って下を向いていた。
「これでよろしいでしょうか、主上」
「よい。では、穴を開けたのはお前たちで、食器を投げつけたのは皇后ということだな」
蔵人頭が顔を上げた。
「お待ちください。実は兄はこの件については関与していないのですが、食器の件は、私が姉上に持ちかけました」
権中納言が驚いて弟の顔を見た。蔵人頭は平然としている。
「では、蔵人頭の罪の方が重くなるな。構わぬか、権中納言」
権中納言はなにか言いかけたが、やめた。
退室し、殿上の間に控えていると、しばらくして一人の蔵人が書状をもってきた。二人の前に置くと、すぐに立ち去った。
権中納言は、震える手で開いた。気を失いそうであった。
三日間の自宅謹慎を命ず
権中納言は胸をなで下ろした。たった三日で、権中納言としての政務に戻れるのだ。すぐに弟のことが気になった。蔵人頭は微笑んでいた。やれやれそんなに重い罪ではなさそうだと思い、気持ちが軽くなった。蔵人頭が権中納言に書状を渡した。
播磨守(はりまのかみ)に任ず
それほど遠方ではないが、左遷は左遷だ。蔵人頭兼左近衛中将になったばかりだというのに。
「なんだ、お前たち、こちらが頭を悩ませているというのに、そんなに真っ赤な顔になるほど、酒を飲んでいたのか」
「いえ、いえ、とんでもございません。女官が火を強くしたものですから、すっかり上気いたしてしまいました」
「こちらでは頭を抱えて真剣に討議しておるのに、お前たちは、ぬくぬくと炭火で暖まっていたのか」
「申し訳ございません」
二人は深く頭を下げた。
主上はそれには応じず、腕組みをした。
「お前たちは、本当に皇后をそそのかしたというのだな?」
関白の低い声が部屋に響いた。
「はい、申し訳ございません」
「なぜ、そんなことをしたのだ?」
権中納言は黙っていた。蔵人頭が口を開いた。
「はい、宣耀殿女御様が姉上のところへは、一度もお訪ねくださらないことを聞きましたので、それならば、訪問なさったらどうかと勧めましたが、どうも気が乗らないようで……」
「何を言う! 宣耀殿は何度も皇后に挨拶に行ったが、都合が悪いといって、いつも門前払いを喰わされたと言っておったぞ」
主上は蔵人頭に顔を近づけた。
「はい、それは確かでございます。宣耀殿女御様がお見えになるときに限って、体調が悪くて寝込んでいたり、入浴中であったり、物の怪に悩まされて僧都から加持祈祷を受けていたりしたのです」
「そんなに五度も六度も都合が悪くなるものか!」
「いや、本当なのでございます」
「まあ、よい」
五十半ばの関白は、三十ほどの帝と二十にはまだ遠い蔵人頭の間に、割って入った。
「では、お前たちは、皇后に宣耀殿女御の姿を一目見せようと思い、壁に穴を開けたと、そういうことでよいか」
「その通りでございます」
「では、食器を投げつけることは、お前たちがそそのかしたわけではないということでよいか」
「はい」
今度は権中納言が即答した。弟の蔵人頭は黙って下を向いていた。
「これでよろしいでしょうか、主上」
「よい。では、穴を開けたのはお前たちで、食器を投げつけたのは皇后ということだな」
蔵人頭が顔を上げた。
「お待ちください。実は兄はこの件については関与していないのですが、食器の件は、私が姉上に持ちかけました」
権中納言が驚いて弟の顔を見た。蔵人頭は平然としている。
「では、蔵人頭の罪の方が重くなるな。構わぬか、権中納言」
権中納言はなにか言いかけたが、やめた。
退室し、殿上の間に控えていると、しばらくして一人の蔵人が書状をもってきた。二人の前に置くと、すぐに立ち去った。
権中納言は、震える手で開いた。気を失いそうであった。
三日間の自宅謹慎を命ず
権中納言は胸をなで下ろした。たった三日で、権中納言としての政務に戻れるのだ。すぐに弟のことが気になった。蔵人頭は微笑んでいた。やれやれそんなに重い罪ではなさそうだと思い、気持ちが軽くなった。蔵人頭が権中納言に書状を渡した。
播磨守(はりまのかみ)に任ず
それほど遠方ではないが、左遷は左遷だ。蔵人頭兼左近衛中将になったばかりだというのに。