按察

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11

 清涼殿を出ると、庭一面真っ赤に染まっていた。木々が次々に葉を落としている。
 帝は書状を手に憤っていた。こんな書状を送ってくるとはどういうつもりだ。
 藤壺の前はきれいに掃き清められていた。それも面白くなかった。なぜ清涼殿より藤壺の方が、よく手入れされているのだ。もちろん清涼殿前も、目下せっせと清掃中であるから、ほどなく藤壺の前のようにきれいになるであろう。しかし、いつも藤壺の方が先であった。清涼殿の役人が怠けているわけではない。彼らは規則に従って、真面目に働いている。藤壺の方が規則以上なのだ。この世は摂関家に媚びを売り、胡麻をするもので、満ち満ちている。頼みもしないのに、奉仕を押し売りしているのだ。そして、それを未来の利益につなげるつもりなのだ。そのうちに宮中自体が摂関家の敷地内に建築されるのではないか? 帝はそういうことをよく考えた。そんなことは断じてあってはならない。やはり天皇が親政を行わなければ、世の中がどんどんおかしくなってしまう。
「主上、わざわざこちらまでお出ましいただき、大変恐縮でございます」
 中納言の君だった。先日は泣き顔しか印象に残らなかったが、それでもかわいらしい人だと思った。それが、朝の光の中で見ると、実に美しかった。宣耀殿女御とそれほど身分は変わらないと言っていたが、確かに女御や更衣などになっても決しておかしくはない、由緒正しい家柄であった。
「あなたにお目にかかれるのなら、毎日でも来ますよ」
 中納言の君は頬を染めた。
「主上、おからかい遊ばされてはいけませんわ」
「ほんとうですよ」
 帝が見つめると、中納言の君は、くるっと後ろを向いて、階(きざはし)に寄った。
「では、ご案内いたします」
 帝は中納言の君の後ろ姿を見ながら、奥に入った。
 御帳台に皇后は座っていた。中納言の君が帳を上げて、帝を皇后の隣に誘(いざな)った。
「ご足労いただき、恐縮でございます」
「なんのつもりですか? 天皇を呼びつける皇后など聞いたこともない。しかも、二度も催促するなんて、無礼ではないか」
「申し訳ありません。私からお伺いするつもりでしたが、こちらの方が落ち着いてお話しできると思いまして」
「それは、あなたはそうでしょうとも。しかし、私は落ち着かないですよ」
「あら、そんなことはございませんわ。主上がくつろげるように、お支度させているところなのですから」
「そんな気分ではありませんよ。それに、まだ朝ではありませんか」
「私ではありません。この中納言の君ですよ」
 皇后は中納言の君の肩に手を置いた。中納言の君は、恥ずかしそうにうつむいている。
「なにを言い出すのですか。中納言の君が困っていますよ」
「そんなことありませんよ。この人は主上にお仕えしたいと、この間も言っていたじゃないですか。主上も気になっているようですし」
「しかし……」
「このように主上の疲れを癒やすようなことは、清涼殿では難しいではないですか。ですから、こちらにお招きしたのです」
 帝はなにか言おうとしたが、皇后はもう御帳台から降りて、退出しようとしていた。もう一度振り向いて、言った。
「先日、私がとんでもないご無礼を働き、せっかくの主上のお楽しみをお邪魔してしまいましたから、今日はそのほんのお詫びです。宣耀殿女御様のようにお気に召すかわかりませんが、中納言の君はとても素敵な方ですよ」
 女官たちが、支度が整いましたと言って、二人を呼びに来た。
「申し訳ございません。私もなにがなにやらわからないのですが、皇后様のお言いつけですので、ご奉仕させていただきます。お気に召さなかったら、しばらくそちらにいらっしゃるだけで、よろしいのですわ」
 帝は、中納言の君のものの言い方が不思議に気に入り、手を引いて歩きだした。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 按察
◆ 執筆年 2023年8月5日