按察

13
山の端から月が現れた。頭中将は衛門の顔を思い出した。一度垣間見しただけだが、美しい人であった。
(今日もだめか……)
頭中将は溜息をついた。
逢坂の関やなになり近けれど超えわびぬればなげきてぞふる
逢坂の関というのは、いったいなんなのでしょうか? こんなに近くにあるのに、越えることができずに、ずっと嘆いているのです。
そういう意味の歌を使者に持たせると、
越えわぶる逢坂よりも音に聞く勿来(なこそ)をかたき関と知らなむ
という返事が来た。
あなたが越えられずに嘆いている逢坂の関より、有名な勿来の関の方が越えるのが難しいと気付いてください。
一線を越えることは許しません、という意味だ。
(あのかわいい中納言の君を主上に譲り、美しい衛門には拒まれ続けている。俺はもうどうしたらよいのだろうか?)
頭中将が絶望していると、侍女の少納言が助言した。
「反語ではないでしょうか?」
「反語?」
「ええ、来てはならないというのは、来てほしいということだと思います」
「しかし、本心から来てほしくないのなら、行っても恥をかくだけだぞ」
「お手紙のやりとりはこれまでたくさん続いてきたではないですか?」
「それはそうだが、ほとんど否定的なものだったぞ」
「それほどやりとりが続けられたということは、まんざらでもないということです」
「そういうものか?」
「はい」
頭中将は勇気が出てきた。
「よし。一か八か、行ってみることにしよう。これでだめなら、もうあきらめる」
「それがよろしいと思います」
少納言は、優しく微笑んだ。
牛車が到着すると、車宿りで、侍女たちが出迎えた。
「こちらにお越しください」
几帳の向こうに衛門が座っていた。
「突然お邪魔いたしまして、誠に申し訳ありません。あなたが来るなとおっしゃるので、もうこれきりで、あなたにお手紙を送るのをやめようと思いまして、そのことをお伝えにやって参りました」
几帳の向こうから、切なそうな返事がある。
「来てはなりませんと私が申したら、あなたは来ないとおっしゃるのですね。つまり、あなたは私にそこまでの思いを持っているわけではないと?」
「いえ、そうではありません。私は誰よりも強い思いであなたのことを思っておりますが、あなたが私のことをお嫌いでいらっしゃるのでしたら、これ以上お便りを送るのはあなたに気の毒だと思いました。しかし、本心では、あなたにどう思われても、お手紙を差し上げたいのです」
「私も、あなたとお手紙のやりとりを続けさせていただきたいと思っておりました。しかし、逢坂の関を越える越えないなどと、意外なことをおっしゃるものですから、私もどうしたらよいかわからなくて、勿来の関を持ち出した次第なのです。お手紙のやりとりだけではいけませんか?」
お手紙のやりとりだけでは困りますと言いたかったが、頭中将はその言葉を飲みこんで、もちろんお手紙のやりとりだけで私は構いませんと答えた。二人はしばらく無言であった。そのうちに頭中将が暇乞いをした。
「お待ちください。今日はせっかくの望月です。せめて月だけでも眺めてからお帰りになりませんか?」
「ええ、それはよいですね。そちらに行ってもよろしいですか?」
「はい」
かすれた声だった。
頭中将は几帳の向こうに回り、衛門を見た。二人は、月のことは忘れた。
(今日もだめか……)
頭中将は溜息をついた。
逢坂の関やなになり近けれど超えわびぬればなげきてぞふる
逢坂の関というのは、いったいなんなのでしょうか? こんなに近くにあるのに、越えることができずに、ずっと嘆いているのです。
そういう意味の歌を使者に持たせると、
越えわぶる逢坂よりも音に聞く勿来(なこそ)をかたき関と知らなむ
という返事が来た。
あなたが越えられずに嘆いている逢坂の関より、有名な勿来の関の方が越えるのが難しいと気付いてください。
一線を越えることは許しません、という意味だ。
(あのかわいい中納言の君を主上に譲り、美しい衛門には拒まれ続けている。俺はもうどうしたらよいのだろうか?)
頭中将が絶望していると、侍女の少納言が助言した。
「反語ではないでしょうか?」
「反語?」
「ええ、来てはならないというのは、来てほしいということだと思います」
「しかし、本心から来てほしくないのなら、行っても恥をかくだけだぞ」
「お手紙のやりとりはこれまでたくさん続いてきたではないですか?」
「それはそうだが、ほとんど否定的なものだったぞ」
「それほどやりとりが続けられたということは、まんざらでもないということです」
「そういうものか?」
「はい」
頭中将は勇気が出てきた。
「よし。一か八か、行ってみることにしよう。これでだめなら、もうあきらめる」
「それがよろしいと思います」
少納言は、優しく微笑んだ。
牛車が到着すると、車宿りで、侍女たちが出迎えた。
「こちらにお越しください」
几帳の向こうに衛門が座っていた。
「突然お邪魔いたしまして、誠に申し訳ありません。あなたが来るなとおっしゃるので、もうこれきりで、あなたにお手紙を送るのをやめようと思いまして、そのことをお伝えにやって参りました」
几帳の向こうから、切なそうな返事がある。
「来てはなりませんと私が申したら、あなたは来ないとおっしゃるのですね。つまり、あなたは私にそこまでの思いを持っているわけではないと?」
「いえ、そうではありません。私は誰よりも強い思いであなたのことを思っておりますが、あなたが私のことをお嫌いでいらっしゃるのでしたら、これ以上お便りを送るのはあなたに気の毒だと思いました。しかし、本心では、あなたにどう思われても、お手紙を差し上げたいのです」
「私も、あなたとお手紙のやりとりを続けさせていただきたいと思っておりました。しかし、逢坂の関を越える越えないなどと、意外なことをおっしゃるものですから、私もどうしたらよいかわからなくて、勿来の関を持ち出した次第なのです。お手紙のやりとりだけではいけませんか?」
お手紙のやりとりだけでは困りますと言いたかったが、頭中将はその言葉を飲みこんで、もちろんお手紙のやりとりだけで私は構いませんと答えた。二人はしばらく無言であった。そのうちに頭中将が暇乞いをした。
「お待ちください。今日はせっかくの望月です。せめて月だけでも眺めてからお帰りになりませんか?」
「ええ、それはよいですね。そちらに行ってもよろしいですか?」
「はい」
かすれた声だった。
頭中将は几帳の向こうに回り、衛門を見た。二人は、月のことは忘れた。