按察

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17

 白馬(あおうま)の節会(せちえ)やら男踏歌(おとことうか)やらで、宮中の正月は慌ただしくもにぎやかに過ぎていった。
 帝のお召しが減るのは、寂しくもあったが、また、気が楽でもあった。それに、体の具合もおかしくなってきたので、帝のお召しに応じられないときも多かったのだ。帝はそれを聞くと、残念そうであるよりは、うれしそうであった。帝が宣耀殿女御の子を望んでいるということは、宣耀殿女御自身にとっても、光栄なことであった。
 そういうことで、帝と過ごすよりも、宣耀殿で過ごすことの方が、ずっと多くなった宣耀殿女御は、好きな和歌に没頭していた。自分で作るだけでなく、女房たちに作らせたり、宣耀殿に遊びに来る公卿や殿上人などに作らせたりもした。すると、公卿や殿上人などが、知り合いの歌の名人を呼んできたりするので、しまいには、宣耀殿は、和歌所(わかどころ)のようになっていった。それを聞いた帝は、非常に面白がり、そのうちに盛大に歌合(うたあわせ)をするから、その予選会を宣耀殿で実施してほしいと言い出した。妊娠して、他にすることもなく、時間を持て余し気味だった宣耀殿女御は、一も二もなくその提案に賛成し、その準備の指揮を執ったのだった。
 そんなことをしているうちに、一月も終わり、二月になった。
「また斎宮女御様から頂き物が参りました」
 安芸(あき)が椿餅(つばいもちい)を美しく載せた折敷(おしき)をうやうやしく差し出した。
「あら、きれいな椿餅ね」
「椿の葉がとても色鮮やかでございます」
 餅を二枚の葉ではさんでいるのだが、その葉自体が、選りすぐりのもので、見ていると心を洗われるようだった。
「ほんとうに、斎宮女御様は、いつも品のよいものをくださるわね」
「ええ」
「食べるのがもったいないみたい」
「でも、せっかくでございますから」
「そうね」
 宣耀殿女御は、安芸が差し出す折敷から、椿餅を取ると、手のひらに載せて、ためつすがめつ眺め、上の葉を軽く引っ張った。葉が餅から剥がれる感触が心地よかった。椿餅の餅は、餅の粉を甘葛(あまずら)で固めて丸めたものだから、葉が剥がれやすい。その感触はいつでも心地よいものだと、宣耀殿女御は思った。口に入れると、ほのかな甘みと柔らかい餅の感触が、ほかのものでは決して味わえない満足を、口と舌に与えた。宣耀殿女御は斎宮女御の優しさを限りなく感じるのだった。椿の葉をつまんでいた右手で、左の手のひらに残った葉をつまむと、二枚一緒に安芸の差し出す折敷に載せた。
「では、あなたたちも斎宮女御様の椿餅をいただくといいわ」
「ありがとうございます」
 安芸たち女房は、主人が食してからでないと、お相伴にあずかれないので、宣耀殿女御が食してくれてほっとしている。もちろん女御が食す前に、専門の従者が毒味をするが、それをうらやましがる女房は一人もいない。
「僧都様がお見えになりました」
 僧都は宣耀殿女御の伯父である。帝が皇太子だったときに、現在の皇后が入内したが、その翌年、先帝が崩御し、現在の帝が即位した。僧都はそのとき権中納言で、先帝の寵臣であり、将来を嘱望されていたが、先帝が崩御すると、周囲の反対を押し切って出家してしまった。僧都たち有能な若手を一掃しようとする一派が、先帝に毒を盛ったのではないかという噂も流れた。それが事実かどうかだれにもわからないが、次代を担う実力者と世間の評判の高かった僧都たち若手は、ことごとく政界から消えていった。そして、その代わりに、現在の帝に娘を入内させていた大納言が一気に左大臣に昇進し、娘の産んだ皇子を皇太子にし、政界を牛耳ったのである。左大臣の娘は皇后になり、子息たちは今でこそ権中納言と頭中将だが、いつか父の得た座を手にするだろうと、だれもが口をそろえて言う。
 僧都は四十代半ば、背が高く筋肉質で、僧衣をまとっているよりは、殿上人たちにきびきび命令を飛ばす方が似合っていそうだった。
「どうなさったのですか、伯父上」
「妙な噂を耳にしましてな」
 僧都は日に焼けた顔を近づけた。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 按察
◆ 執筆年 2023年8月5日