按察

19
清涼殿は見事な山吹や藤で飾り付けられ、それに負けじと着飾った貴公子たちが談笑している。
「あの山吹は宣耀殿女御様が、わざわざ井手からお取り寄せになったそうだよ」
小柄な殿上人が大柄な殿上人に言いながら、指さした。
「あの藤は、皇后様が手ずから藤壺で育てているものを、手折ってきたそうだよ」
大柄な方が得意そうに言った。
「貴公はそんなことまでよくご存じだな」
「貴公こそ」
「今日の兼題の花の中でも、活けられているのは、山吹と藤だけだな」
「桜は遅いし、卯の花は早いからな」
「あら、桜も卯の花も活けられているわよ」
二人が振り向くと、宣耀殿の女房の宰相(さいしよう)の君だった。髪が長くこざっぱりしている。性格もさっぱりして、男に対しても物怖じしない。
「どこに」
「ほら、あそこよ」
左方の歌詠みたちが待機しているところに桜が、右方には卯の花が活けられていた。
「ほんとうだ。見事な桜だな、この時期によくあんなきれいな桜が咲いているものだな」
小柄な殿上人が感心して、言った。
「斎宮女御様が秘密の場所で育てているそうよ」
「あの卯の花もきれいなもんだな」
大柄の方が言った。
「弘徽殿女御様が手配したのよ」
帝の近くの御簾に控えているのが皇后で、弘徽殿女御はその隣に詰めていた。他の女御、更衣は、それぞれの分に応じて、席に着いていたが、宣耀殿女御の姿は見えない。
「あれ? 今日は宣耀殿女御様は、どうしたのかな」
「そうだね。せっかく宣耀殿で予選会を行って、いよいよ今日がこの清涼殿での本戦だというのに、一番の功労者の宣耀殿女御様がいらっしゃらないなんて、もの足りないな」
「あら、ご存じないのですか? ご出産が間近いので、今日は参観を見合わせなさったんですよ」
「それは残念だね。でも、そんなおめでたいことなら、そちらを優先しなければならないね」
「でも、今すぐに産まれるということでもないなら、参観なさればよいのにね」
「やはり皇后様の威厳にはかなわないかね?」
「ほらほら、あまり余計なことを言ってると、だれかに聞かれるわよ」
「そうだな」
対戦が始まると、場内は静まった。歌詠みたちも華やかな衣装だが、それに方人(かたうど)の女房たちの衣装も加わるから、場内は、緊張感の中にも、非常に晴れやかなものがあった。
どの対戦も白熱していたが、最後の対戦は、左右の詠み手の気迫がすさまじく、判者(はんじや)も困り果てていた。
左方摂津大目(せつつのおおきさかん)の歌。
恋すてふ我が名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか
対する、右方越前権守(えちぜんのごんのかみ)の歌。
忍ぶれど色に出でにけり我が恋はものや思ふと人の問ふまで
判者を務めていた関白は、しばらく無言であった。関白は弘徽殿女御の父である。関白は補佐の大納言に相談するが、大納言も腕を組んだまま無言である。大納言は帝の兄である。関白が弱っていると、帝が何事かつぶやいている。大納言が耳を傾けてみると、どうも「忍ぶれど、忍ぶれど」と口ずさんでいるようである。それを関白に言うと、関白は、威儀を正し、
「右方」
と、声高く判定を下した。
場内は騒然となった。やがて静まると、管絃の催しが始まり、酒食が供された。
皆が楽しそうに酒を酌み交わしても、摂津大目はうちしおれていた。
歌合が終わり、帰宅した摂津大目は、病に倒れ、数日後に息を引き取った。
「あの山吹は宣耀殿女御様が、わざわざ井手からお取り寄せになったそうだよ」
小柄な殿上人が大柄な殿上人に言いながら、指さした。
「あの藤は、皇后様が手ずから藤壺で育てているものを、手折ってきたそうだよ」
大柄な方が得意そうに言った。
「貴公はそんなことまでよくご存じだな」
「貴公こそ」
「今日の兼題の花の中でも、活けられているのは、山吹と藤だけだな」
「桜は遅いし、卯の花は早いからな」
「あら、桜も卯の花も活けられているわよ」
二人が振り向くと、宣耀殿の女房の宰相(さいしよう)の君だった。髪が長くこざっぱりしている。性格もさっぱりして、男に対しても物怖じしない。
「どこに」
「ほら、あそこよ」
左方の歌詠みたちが待機しているところに桜が、右方には卯の花が活けられていた。
「ほんとうだ。見事な桜だな、この時期によくあんなきれいな桜が咲いているものだな」
小柄な殿上人が感心して、言った。
「斎宮女御様が秘密の場所で育てているそうよ」
「あの卯の花もきれいなもんだな」
大柄の方が言った。
「弘徽殿女御様が手配したのよ」
帝の近くの御簾に控えているのが皇后で、弘徽殿女御はその隣に詰めていた。他の女御、更衣は、それぞれの分に応じて、席に着いていたが、宣耀殿女御の姿は見えない。
「あれ? 今日は宣耀殿女御様は、どうしたのかな」
「そうだね。せっかく宣耀殿で予選会を行って、いよいよ今日がこの清涼殿での本戦だというのに、一番の功労者の宣耀殿女御様がいらっしゃらないなんて、もの足りないな」
「あら、ご存じないのですか? ご出産が間近いので、今日は参観を見合わせなさったんですよ」
「それは残念だね。でも、そんなおめでたいことなら、そちらを優先しなければならないね」
「でも、今すぐに産まれるということでもないなら、参観なさればよいのにね」
「やはり皇后様の威厳にはかなわないかね?」
「ほらほら、あまり余計なことを言ってると、だれかに聞かれるわよ」
「そうだな」
対戦が始まると、場内は静まった。歌詠みたちも華やかな衣装だが、それに方人(かたうど)の女房たちの衣装も加わるから、場内は、緊張感の中にも、非常に晴れやかなものがあった。
どの対戦も白熱していたが、最後の対戦は、左右の詠み手の気迫がすさまじく、判者(はんじや)も困り果てていた。
左方摂津大目(せつつのおおきさかん)の歌。
恋すてふ我が名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか
対する、右方越前権守(えちぜんのごんのかみ)の歌。
忍ぶれど色に出でにけり我が恋はものや思ふと人の問ふまで
判者を務めていた関白は、しばらく無言であった。関白は弘徽殿女御の父である。関白は補佐の大納言に相談するが、大納言も腕を組んだまま無言である。大納言は帝の兄である。関白が弱っていると、帝が何事かつぶやいている。大納言が耳を傾けてみると、どうも「忍ぶれど、忍ぶれど」と口ずさんでいるようである。それを関白に言うと、関白は、威儀を正し、
「右方」
と、声高く判定を下した。
場内は騒然となった。やがて静まると、管絃の催しが始まり、酒食が供された。
皆が楽しそうに酒を酌み交わしても、摂津大目はうちしおれていた。
歌合が終わり、帰宅した摂津大目は、病に倒れ、数日後に息を引き取った。