按察

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22

 木々は果実を付け、稲は頭を重そうに垂らしている。暑くもなく、寒くもなく、婚礼には絶好の日和であった。
 かつて帝と皇后が婚儀を執り行った昭陽殿で、二宮(にのみや)と大納言の娘の婚儀が執り行われた。帝が二宮の婚儀を、この昭陽殿で執り行うのは、皇太子ではなく、二宮を後継とするつもりがあるからだというのが、世間のもっぱらの評判であった。帝も皇后も二宮を非常にかわいがっている。娘を嫁がせる大納言は、二宮の元服のとき、加冠の儀を執り行うなど、以前から後見役として、だれよりも心を尽くしてきていた。皇后の父左大臣も聡明な二宮を、なにかにつけて自慢の種にするなど、もてはやしているのだった。つまり、現在、世の中でもっとも力を持っている帝と皇后と左大臣と大納言が、二宮を大切に扱っているのである。この婚儀によって、世間はそういう印象を再確認したというわけである。
 二宮は兄の皇太子とは異なり、男らしくたくましかった。表情や言葉も人に頼もしさを与えるものだった。皇太子ではなくて、二宮に、次代の帝になってほしいと思うのは、なにも帝や皇后、左大臣、大納言だけではなかった。世のほとんどの者がそのように願っていたのだった。大納言の娘は、感情のなだらかな女性で、将来の皇后にふさわしいとだれもが感じた。しかし、それは、いわば都の常識であった。地方では、それとは違う考え方というものがあり、そして、それは、彼らにはかなり切実なものであった。彼らは、帝が頼りにならないということは、大して問題にしなかった。いや、帝は、子どもや赤ん坊でも、まったく差し支えなかった。そんなことより、彼らにとって切実なのは、政治の安定であった。政治の安定というのは、律令制度とは、すでに大きくかけ離れてしまった、地方の現状を維持する統治体制が崩れないということであった。簡単に言えば、地方の現実生活の基盤となっている荘園というものに対して、余計な口出しをしないでほしいということであった。こういう現実にほどよく妥協してくれるのが、いわゆる藤原摂関政治という、超現実的統治体制であった。摂関家は、いわゆる律令政治の理想というものにこだわらない。荘園制の現実的な要請に、いつでも応じてくれる。もちろん、それは、荘園の開発領主である武士たちが、摂関家の軍事力となり、反対派をいつでも潰してあげたからでもあるが。とにかく、荘園の武士と藤原摂関家とは、蜜月関係にあり、この密着状態が、現在の日本という国の隅々にまで、深く根を張っていたのである。そういう状況の中で、特に地方の荘園側から見ると、明主というのは、あまり歓迎できないのである。明主であれば、自分が政治を仕切りたいであろうし、また、その支障となる、たとえば摂政や関白などというものは、切って捨ててしまいたくなるものであるはずである。摂関家があまり大きな顔をしないように、摂関家以外の家系から女御や皇后を見つけたいものであるはずである。そうやって、明主が、独断採決し、摂関家を徐々に排除してしまうと、荘園を守ってくれるものが徐々にいなくなってしまう。いっそのこと荘園などは解体して、本来の律令制どおりに租税の徴収をしようなんていうことになったりすると、地方の武士たちの、経済的なよりどころがなくなってしまう。だから、明主は困るのである。二宮は、明主の徴候が多いにある。二宮についている大納言は、源氏である。ということは、二宮が帝になれば、摂関家の思惑を考えずに政治を行える。これはとてもまずい。片や、皇太子の方は、あまり敏腕ではなさそうである。いや、まったく政治力がなさそうである。こういう人が帝になると、摂関家の言うなりになるであろう。そうすると、摂関家は幅を利かせ、源氏の大納言や他氏を寄せつけないであろう。そうすると、だれも荘園に対して、余計な口出しをしてこない。だから、やはり、こういう皇太子のような人が、地方の荘園開発領主である武士から見ると、理想的な帝なのである。
 このような地方の本音は、現実的な形で、都の政界に影響してくる。ある日、地方で一番勢力のある武士が、摂関家で一番利用しやすそうな御曹司に声をかけた。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 按察
◆ 執筆年 2023年8月5日