按察

25
夜も遅い。底冷えがする。風が身を切るようだ。衛門の待つ家で、温かい酒が飲みたい。
頭中将は衛門の、新鮮な感覚と意外な受け答えが、楽しかった。特に最近はいろいろあって、神経が疲れていたから、彼女みたいな女性でないと満たされないものがあると思った。左京は不動の落ち着きがあり、自分は左京に手足をしっかりと縛られているとは感じるが、それは現在の自分の存在を確かめ、さらに、将来の安心をたびたび確かめるのにも、とても大切だった。それに、左京は経済観念や政治観念のようなものが発達していて、現実社会を生きるために欠かせない力をそこから吸収できるのだ。彼女は、家族、親類、世間と渡りあって行くには、いなくてはならない存在なのであった。しかし、左京と過ごす日が重なると、なにか物足りないのである。それに、左京は実用的なものには、興味と欲が強いが、教養的なものには、あまり関心を示さなかった。それと、左京は、貴族の他の婦人と同じ程度に、外見に時間と金銭を費やすのが好きだった。衣装や装飾品などのよしあしには、きわめて関心が高い。それも、そのよしあしの基準は、単純に言うと、値が張るかどうかということであった。つまり、左京は、自分の身体を、他人からとやかく言われないように、最新の衣服と装飾品によって武装し、他家の夫人たちと顔を合わせれば、互いの持ち物を見せ合って、いつ終わるともしれぬ長い戦闘を繰り広げていた。そういうところは、頭中将にはわからなかった。自分と左京が別の世界に住む生き物同士のような気になることもあるのであった。物質的な欲求を満たすときには、左京という女性ほど、そばにいてほしい存在はないのだが、精神的な飢えを満たすときに、左京ほど物足りない女性も珍しいと、頭中将は思うのだった。そんなときは、教養があり、能筆で、和歌の巧みな衛門が恋しくなる。
しかし、一つ気がかりなこともあった。それは、ほんとうに単純で、しかも、切実なことである。今夜、衛門が受け入れてくれるかということだ。衛門とは、最近、しっくりいっていない。それも、自分が悪いのであった。衛門が身ごもってから、頭中将は、町の小路に通うようになった。これは、摂津守が手引きしたのだ。摂津守が手引きするような女と関係を持つべきではないと、頭のどこかでは考えていたが、今風の衣装と髪型の町の小路の女を紹介されると、心が動いた。町の小路の女の家から出ると、衛門に会いたくなった。もう町の小路の女のところへなど、行くのはよそうと思う。衛門と会うと、精神的に充実した時間を過ごせる。ますます町の小路には行きたくなくなる。しかし、衛門のところにしばらくいると、そのうちに体がうずきはじめる。宮中での業務が長引いて夜が更けると、知らず知らずに足が町の小路に向いている。町の小路から帰ると、とてもむなしい気持ちになる。今夜も宮中での業務が長引き、疲れた体を癒やすために町の小路のところへ向かったが、衛門の独特な笑い声を思い出すと、途中で興が冷めた。そして、すぐにでも衛門に会って、温かい酒が飲みたいと思った。酒を飲みながら冗談を言うと、衛門は楽しそうに笑う。はははでもなく、うふふでもなく、ころころでもない。甘えたような、こびたような、困ったような笑い方である。藤原時平に書類を渡しながら大きなおならをした役人の話をしたときは、衛門は、「もう、下品な話ばかりするんだから、いや」と言いながら、笑いが止まらず、下品な話をさらに続ける頭中将を決して止めたりはしなかった。衛門が笑うと頭中将は胸が甘くなる。だから、衛門を笑わせようと、仕事中も、面白いことばかり見つけている。
しかし、気がかりがある。衛門の家で、町の小路の女から来た手紙を、見られてしまったのだ。気を付けていたつもりだったが、一瞬の気の緩みからそのようなことになってしまったのだった。
「到着いたしました」
衛門の家の門は冷え冷えとしていた。
「奥様は体調がすぐれず、もうお休みになってしまったので、明日お越しくださいとのことでした」
随身は侍女の言葉を伝えた。
頭中将は衛門の、新鮮な感覚と意外な受け答えが、楽しかった。特に最近はいろいろあって、神経が疲れていたから、彼女みたいな女性でないと満たされないものがあると思った。左京は不動の落ち着きがあり、自分は左京に手足をしっかりと縛られているとは感じるが、それは現在の自分の存在を確かめ、さらに、将来の安心をたびたび確かめるのにも、とても大切だった。それに、左京は経済観念や政治観念のようなものが発達していて、現実社会を生きるために欠かせない力をそこから吸収できるのだ。彼女は、家族、親類、世間と渡りあって行くには、いなくてはならない存在なのであった。しかし、左京と過ごす日が重なると、なにか物足りないのである。それに、左京は実用的なものには、興味と欲が強いが、教養的なものには、あまり関心を示さなかった。それと、左京は、貴族の他の婦人と同じ程度に、外見に時間と金銭を費やすのが好きだった。衣装や装飾品などのよしあしには、きわめて関心が高い。それも、そのよしあしの基準は、単純に言うと、値が張るかどうかということであった。つまり、左京は、自分の身体を、他人からとやかく言われないように、最新の衣服と装飾品によって武装し、他家の夫人たちと顔を合わせれば、互いの持ち物を見せ合って、いつ終わるともしれぬ長い戦闘を繰り広げていた。そういうところは、頭中将にはわからなかった。自分と左京が別の世界に住む生き物同士のような気になることもあるのであった。物質的な欲求を満たすときには、左京という女性ほど、そばにいてほしい存在はないのだが、精神的な飢えを満たすときに、左京ほど物足りない女性も珍しいと、頭中将は思うのだった。そんなときは、教養があり、能筆で、和歌の巧みな衛門が恋しくなる。
しかし、一つ気がかりなこともあった。それは、ほんとうに単純で、しかも、切実なことである。今夜、衛門が受け入れてくれるかということだ。衛門とは、最近、しっくりいっていない。それも、自分が悪いのであった。衛門が身ごもってから、頭中将は、町の小路に通うようになった。これは、摂津守が手引きしたのだ。摂津守が手引きするような女と関係を持つべきではないと、頭のどこかでは考えていたが、今風の衣装と髪型の町の小路の女を紹介されると、心が動いた。町の小路の女の家から出ると、衛門に会いたくなった。もう町の小路の女のところへなど、行くのはよそうと思う。衛門と会うと、精神的に充実した時間を過ごせる。ますます町の小路には行きたくなくなる。しかし、衛門のところにしばらくいると、そのうちに体がうずきはじめる。宮中での業務が長引いて夜が更けると、知らず知らずに足が町の小路に向いている。町の小路から帰ると、とてもむなしい気持ちになる。今夜も宮中での業務が長引き、疲れた体を癒やすために町の小路のところへ向かったが、衛門の独特な笑い声を思い出すと、途中で興が冷めた。そして、すぐにでも衛門に会って、温かい酒が飲みたいと思った。酒を飲みながら冗談を言うと、衛門は楽しそうに笑う。はははでもなく、うふふでもなく、ころころでもない。甘えたような、こびたような、困ったような笑い方である。藤原時平に書類を渡しながら大きなおならをした役人の話をしたときは、衛門は、「もう、下品な話ばかりするんだから、いや」と言いながら、笑いが止まらず、下品な話をさらに続ける頭中将を決して止めたりはしなかった。衛門が笑うと頭中将は胸が甘くなる。だから、衛門を笑わせようと、仕事中も、面白いことばかり見つけている。
しかし、気がかりがある。衛門の家で、町の小路の女から来た手紙を、見られてしまったのだ。気を付けていたつもりだったが、一瞬の気の緩みからそのようなことになってしまったのだった。
「到着いたしました」
衛門の家の門は冷え冷えとしていた。
「奥様は体調がすぐれず、もうお休みになってしまったので、明日お越しくださいとのことでした」
随身は侍女の言葉を伝えた。