按察

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27

 琵琶湖は黒々としていた。しかし、よく見ると、光を反射して、白く輝いている点や線が、全体に散乱していた。
 ここには、大納言が領有している荘園があった。武士は敏捷だ。大納言に気付き、もう近寄ってきた。
「大納言様、いかがなされましたか?」
 すばやく馬を止め、地に伏して、顔を上げると、男はそう訊いた。
「いや、なに、思い切り駆けてみたかっただけだ」
 大納言は、馬に乗ったまま、簡単に答えた。
「しかし、お一人での行動は、危険でございます。このあたりも最近は物騒になっておりますから」
「なんだ、私を見くびっておるのか」
「いえ、そういうわけではございませんが、万が一のことがございますから、警護の者をお連れくださいませんと」
「それはそうだが、ちょっと、内密に訊きたいこともあったのでな」
「それでしたら、わざわざこちらまでお越しにならなくても、私が京までうかがいましたものを」
「いや、京は、人目が多い。だれが見ているかわからない」
「そうですか? では、まあ、ともかく、ここではなんですから、私の家にお越しください」
「うむ」
 家の中は暖かかった。大納言が時折この家に立ち寄るときに、必ず泊まる部屋も暖まっていた。部屋に入ると、いつものように弓姫(ゆき)が手をついていた。先ほどの男の娘だ。大納言の子も二人いる。近江掾(おうみのじよう)の屋敷であった。近江掾は、大きな武士団の棟梁だが、大納言が逢坂の関を越えたころには、すでに伝令を聞き終え、他の者には決して任せず、自ら馬を駆って、出迎えるのが、常であった。近江掾にとっては、大納言を歓待できるという状況は、それほどに幸福なことなのであった。
 大きな武士団の棟梁は、このところ、競い合うようにして、有力公卿と接触していた。広大な領地と巨大な物資、強力な武力を提供し、その見返りとして、有力公卿の庇護を受けようというのだった。自分の庇護者が国政の頂点に立てば、他の武士団の上位に立つことができる。現在では藤原摂関家と摂津が事実上、この日本の最高権力であった。摂津は多くの東国武士を配下に収めているから、その軍事力は群を抜いていた。朝廷への攻撃をもくろみ、時機の到来を待ちかまえている奥州の武士も、東国を擁する摂津に対しては、下手な手出しをすることはできないと苦り切っていた。
 摂津に対抗するのが、近江であった。摂津の棟梁は、守(かみ)の地位まで手に入れていたが、近江の棟梁は、ようやく掾になったばかりで、それ以上の地位になる目処は立っていなかった。望みは大納言であった。大納言が右大臣、左大臣と位を進めることができれば、守の位は実現できると踏んでいた。近江も東国武士をかなり従えている。東国武士は、摂津派と近江派に分かれていると言っていいだろう。ただ、やはり、現時点では、摂津の側が圧倒的に勢力が大きかった。もともとは摂津も近江も同じ勢力なのであった。いわゆる清和源氏という家系であった。それが、いつしか考え方の違いから分裂してしまった。摂津は、将来的には貴族を解体して、武士が日本を統治すべきだと考えていた。それに対して、近江は、政治はあくまでも貴族が行い、武士は軍事面での役割に徹するべきだと考えていた。武人が政治を主導すると、その国は長続きしない。近江掾はそう思っていた。
 かなり昔になるが、まだ大納言が近江権守(おうみのごんのかみ)だったころ、近江掾と知り合った。もちろん掾はまだ掾になっておらず、武士の棟梁でもなかった。権守の従者として仕えるうちに、その人柄と深い思想に感銘を受けた。当時の権守は、律令制の原点に戻るべきだと言っていたし、それは今も同じだ。全国の武士を統一した組織に編成し、近衛大将の指揮下で武士の棟梁が動き、武士の棟梁の指揮下で各国の指揮官が動く。もちろん全権を掌握するのは天皇である。
 自分が左大臣になり、左近衛大将をも兼ねたら、全国の武士の棟梁には近江掾になってほしいと、大納言は常に言っていた。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 按察
◆ 執筆年 2023年8月5日