按察

38
馬の背にぽかぽかと陽ざしが当たっていた。いい匂いがする。手入れの行き届いた馬なので、匂いもよかった。
「昔は、武士は摂関家に従っていました」
僧都の言うことが、現在の話題とはずれているような気がして、右大将は困惑した。
しかし、僧都は構わずに話を進めた。
「藤原氏の氏(うじ)の長者が決裁したことは絶対でした。事実上天皇もこれには反対できませんでした。武士たちは、これを絶対としてきました。先ほど将門の話をなさいましたな。そうです。将門のころからでしょうか。武士たちは、摂関家の力に疑問を持つようになりました。氏の長者はそれほど力がないのではないかと思うようになりました。将門の鎮圧に手こずりましたからな。将門だけではなく、純友も反乱を起こしました。私も、朝廷はもう駄目なんじゃないかと思いました。長く続いた天皇もこれで終わるのではないかと思いました。私やあなたの父上の父親である故関白も苦しみました。私は摂関政治というものも、これで終わりじゃないかと思いました。実際、将門たちを鎮圧できなかったら、故関白の政治生命は終わっていたでしょう。それとともに、藤原摂関政治は終わりを迎えていたでしょう。しかし、父に付いていた摂津派などの武士たちは、将門たちを見事に鎮圧してくれました。父は喜びました。天皇も喜びました。私たち摂関家の者たちは、だれも彼も胸をなで下ろしました。しかし、このあと、摂津が変わりましたな。いや、表向きはまったく変わっていない。変わったことに気付いている者は、現在何人もいないでしょう。あれだけの危難に直面したのに、喉元過ぎれば熱さを忘れると言いますが、貴族たちは、のんきなものです。自分たちの生活を見直して、真剣に政治体制を変革しようとはしませんでした。また、将門みたいな乱暴者が出てきても、貴族たちの忠実な飼い犬である武士が、すぐに退治してくれ、自分たち貴族の平和を保ってくれる。おそらく多くの貴族はそういうことしか考えていないのではないでしょうか。いや、摂津が変わったと言っても、見たところでは、ほとんど変わっていませんよ。これは、見る目のない人には、まったく見えないことです。亡くなった天皇や亡くなった皇后、皇后の父左大臣、私の兄ですが、兄はお二方よりも先になくなりましたがね、この方たちも、はっきりとは見えていなかったと思いますな。摂津は、用心深く、用意周到ですからな」
「私も、摂津が変わったというのは、よくわかりません」
「気になさる必要はありません。だれもよくわからないでしょうから。これはなかなか微妙なことなのです。昔は、氏の長者が摂津に尋ね、摂津がそれに答えたことを参考にして、決裁した。摂津が苦情を言えば、そういうこともかなり聞き入れた。だから、かなり武士の立場を考慮した上で、政策の立案がなされていたのです。では、それに対して今はどうかと言いますと、いや、基本的には昔と変わらないのです。ところが、若干、主従関係が逆転しているように思います。つまり、摂津の方からこうしてくれというのが、先に来る。氏の長者は、摂津に従わないと、結局困ることになりそうなので、摂津の申し出を、氏の長者から摂津に下命したかのような体裁にして、投げ掛ける。こんな具合になってきたのです」
「つまり、世間には摂関家が武士に命じたと見られていることは、実際は武士からの強い要求を摂関家がのまされているということですか」
「そうです」
「しかし、そんな話は、宮中で見る限り、まったくありませんよ」
「それはそうでしょう。摂津は、巧みですからな。摂津はそういう体制を構築するために、摂関家の若手を利用しました。頭中将とかそういう実働的な役割を担う青年を使うのです。金や女をふんだんに与えて、身動きできないようにするのですな」
「従兄のことですね」
「そうです。あなたの従兄は摂津に大量に餌を与えられて、言いなりになってしまいました。彼が頭中将だった時代です。頭中将は、自分の父左大臣や姉の皇后に、摂津の要求を伝える役目になっていたのです」
右大将の視界が開けてきた。
「昔は、武士は摂関家に従っていました」
僧都の言うことが、現在の話題とはずれているような気がして、右大将は困惑した。
しかし、僧都は構わずに話を進めた。
「藤原氏の氏(うじ)の長者が決裁したことは絶対でした。事実上天皇もこれには反対できませんでした。武士たちは、これを絶対としてきました。先ほど将門の話をなさいましたな。そうです。将門のころからでしょうか。武士たちは、摂関家の力に疑問を持つようになりました。氏の長者はそれほど力がないのではないかと思うようになりました。将門の鎮圧に手こずりましたからな。将門だけではなく、純友も反乱を起こしました。私も、朝廷はもう駄目なんじゃないかと思いました。長く続いた天皇もこれで終わるのではないかと思いました。私やあなたの父上の父親である故関白も苦しみました。私は摂関政治というものも、これで終わりじゃないかと思いました。実際、将門たちを鎮圧できなかったら、故関白の政治生命は終わっていたでしょう。それとともに、藤原摂関政治は終わりを迎えていたでしょう。しかし、父に付いていた摂津派などの武士たちは、将門たちを見事に鎮圧してくれました。父は喜びました。天皇も喜びました。私たち摂関家の者たちは、だれも彼も胸をなで下ろしました。しかし、このあと、摂津が変わりましたな。いや、表向きはまったく変わっていない。変わったことに気付いている者は、現在何人もいないでしょう。あれだけの危難に直面したのに、喉元過ぎれば熱さを忘れると言いますが、貴族たちは、のんきなものです。自分たちの生活を見直して、真剣に政治体制を変革しようとはしませんでした。また、将門みたいな乱暴者が出てきても、貴族たちの忠実な飼い犬である武士が、すぐに退治してくれ、自分たち貴族の平和を保ってくれる。おそらく多くの貴族はそういうことしか考えていないのではないでしょうか。いや、摂津が変わったと言っても、見たところでは、ほとんど変わっていませんよ。これは、見る目のない人には、まったく見えないことです。亡くなった天皇や亡くなった皇后、皇后の父左大臣、私の兄ですが、兄はお二方よりも先になくなりましたがね、この方たちも、はっきりとは見えていなかったと思いますな。摂津は、用心深く、用意周到ですからな」
「私も、摂津が変わったというのは、よくわかりません」
「気になさる必要はありません。だれもよくわからないでしょうから。これはなかなか微妙なことなのです。昔は、氏の長者が摂津に尋ね、摂津がそれに答えたことを参考にして、決裁した。摂津が苦情を言えば、そういうこともかなり聞き入れた。だから、かなり武士の立場を考慮した上で、政策の立案がなされていたのです。では、それに対して今はどうかと言いますと、いや、基本的には昔と変わらないのです。ところが、若干、主従関係が逆転しているように思います。つまり、摂津の方からこうしてくれというのが、先に来る。氏の長者は、摂津に従わないと、結局困ることになりそうなので、摂津の申し出を、氏の長者から摂津に下命したかのような体裁にして、投げ掛ける。こんな具合になってきたのです」
「つまり、世間には摂関家が武士に命じたと見られていることは、実際は武士からの強い要求を摂関家がのまされているということですか」
「そうです」
「しかし、そんな話は、宮中で見る限り、まったくありませんよ」
「それはそうでしょう。摂津は、巧みですからな。摂津はそういう体制を構築するために、摂関家の若手を利用しました。頭中将とかそういう実働的な役割を担う青年を使うのです。金や女をふんだんに与えて、身動きできないようにするのですな」
「従兄のことですね」
「そうです。あなたの従兄は摂津に大量に餌を与えられて、言いなりになってしまいました。彼が頭中将だった時代です。頭中将は、自分の父左大臣や姉の皇后に、摂津の要求を伝える役目になっていたのです」
右大将の視界が開けてきた。