按察

39
波打ち際が左右に広がっていた。大きな鳥居が立っていた。立派なものだった。その内側に趣のある神社があった。回廊に清楚な若い巫女たちが行きかっていた。その奥に寝殿造りの見事な建物があった。
「あれが伯父上の別院ですね」
「はい」
「なんと見事な……」
「いや、お恥ずかしい。あのような過分な家に暮らす身分ではないので、もう少しこぢんまりした家を建てようと思ったのですが、この国の人たちが、勝手に建ててしまったもので……」
僧都はそう言いながらも、まんざらではないようであった。
馬をつなぐと、僧都は若い甥をあちこち連れ回した。
「今はまだ潮が引いていますが、だんだん満ちてくると、神社も家も海の上に浮かんだようになります」
海辺にはそういう作りの建物があると、噂には聞いていたが、まさか今日それを見られるとは右大将は思っていなかった。しかも、自分の近親者が所有しているのである。右大将は、自分が政務に没頭しすぎていて、世間のさまざまな文化や風習にまるで無関心であったということを、改めて思った。自分が宮中の中で少しでもよい立場になることばかり考えていたので、それとは正反対に生きていると思っていた伯父の僧都に対して、あまりにも無関心であったと思った。正反対どころではない。伯父は、方向は違うが、国の政治に深く関わり、また、途方もない威力を持った実力者であった。なぜ伯父は自分になにも言ってくれなかったのか? なぜ自分は伯父にもっと相談に行かなかったのか? 右大将は、自分のうかつさ、若さに腹立たしくなった。
僧都は神社の自分の部屋に甥を招き入れた。広くて清らかな部屋であった。
「播磨の武士たちが摂津攻略についてあなたの下命を求めに来るそうです」
「それはまた、ずいぶん急なことですね」
右大将は、この一日、二日の間で、自分の内外に急激な変化が起こるのに、当惑していたが、話はすでにそういうところまで進んでいたのである。いったい自分はどのようなことを武士たちに命ずればよいか見当もつかないので、右大将はうろたえた。
「ご安心ください。下命を求めると言いましても、実はあらかた私と話を詰めています。あなたには形式上の決裁をいただくだけですから」
右大将が承知すると、まもなくきちんとした立派な人々が大勢入ってきた。みな非常に緊張している。実力はあるといっても、地方の武士たちは、やはり気持ちの面で、京の公卿には頭が上がらない。右大将などという高官は、一生会えるはずもないような雲の上の人である。ぎこちなく部屋に入って、ひれ伏したまま、だれも顔を上げなかった。
「そのような堅苦しい挨拶は結構ですから、どうぞ皆さん、顔を上げて、気楽になさってくださいよ」
右大将がそう言っても、武士たちは恐縮するばかりであった。しかし、巫女や女房たちが膳の用意をし、酒が入ってくると、次第に打ち解けてきた。歌も出た。踊りも出た。一度盛り上がると、田舎の人間は、火が付いたようになる。右大将も、歌を歌い、武士たちの喝采を浴びた。盛り上がりが絶頂になったころ、僧都が調子を低めて、大事な話に入った。
「ところで、せっかく盛り上がっているのに、申し訳ないのですが、どうですか、京の様子で、なにか変わったことは聞いていませんか」
すると、年配の武士が、酔いで赤くなった顔を引き締めて、厳かな口調で報告した。
「申し訳ございません。歓待を賜りまして、このように見苦しい姿をお目にかけることをお許しください。予想していたことではございますが、京では前(さき)の右大将の家司(けいし)が物々しい警戒態勢で取締りを強化しております」
「やはりそうか」
右大将を奪った自分を、従兄が摂津の武士たちに狙わせているのだということを右大将は知った。
自分はあまりにもうかつだったと右大将は思った。
「あれが伯父上の別院ですね」
「はい」
「なんと見事な……」
「いや、お恥ずかしい。あのような過分な家に暮らす身分ではないので、もう少しこぢんまりした家を建てようと思ったのですが、この国の人たちが、勝手に建ててしまったもので……」
僧都はそう言いながらも、まんざらではないようであった。
馬をつなぐと、僧都は若い甥をあちこち連れ回した。
「今はまだ潮が引いていますが、だんだん満ちてくると、神社も家も海の上に浮かんだようになります」
海辺にはそういう作りの建物があると、噂には聞いていたが、まさか今日それを見られるとは右大将は思っていなかった。しかも、自分の近親者が所有しているのである。右大将は、自分が政務に没頭しすぎていて、世間のさまざまな文化や風習にまるで無関心であったということを、改めて思った。自分が宮中の中で少しでもよい立場になることばかり考えていたので、それとは正反対に生きていると思っていた伯父の僧都に対して、あまりにも無関心であったと思った。正反対どころではない。伯父は、方向は違うが、国の政治に深く関わり、また、途方もない威力を持った実力者であった。なぜ伯父は自分になにも言ってくれなかったのか? なぜ自分は伯父にもっと相談に行かなかったのか? 右大将は、自分のうかつさ、若さに腹立たしくなった。
僧都は神社の自分の部屋に甥を招き入れた。広くて清らかな部屋であった。
「播磨の武士たちが摂津攻略についてあなたの下命を求めに来るそうです」
「それはまた、ずいぶん急なことですね」
右大将は、この一日、二日の間で、自分の内外に急激な変化が起こるのに、当惑していたが、話はすでにそういうところまで進んでいたのである。いったい自分はどのようなことを武士たちに命ずればよいか見当もつかないので、右大将はうろたえた。
「ご安心ください。下命を求めると言いましても、実はあらかた私と話を詰めています。あなたには形式上の決裁をいただくだけですから」
右大将が承知すると、まもなくきちんとした立派な人々が大勢入ってきた。みな非常に緊張している。実力はあるといっても、地方の武士たちは、やはり気持ちの面で、京の公卿には頭が上がらない。右大将などという高官は、一生会えるはずもないような雲の上の人である。ぎこちなく部屋に入って、ひれ伏したまま、だれも顔を上げなかった。
「そのような堅苦しい挨拶は結構ですから、どうぞ皆さん、顔を上げて、気楽になさってくださいよ」
右大将がそう言っても、武士たちは恐縮するばかりであった。しかし、巫女や女房たちが膳の用意をし、酒が入ってくると、次第に打ち解けてきた。歌も出た。踊りも出た。一度盛り上がると、田舎の人間は、火が付いたようになる。右大将も、歌を歌い、武士たちの喝采を浴びた。盛り上がりが絶頂になったころ、僧都が調子を低めて、大事な話に入った。
「ところで、せっかく盛り上がっているのに、申し訳ないのですが、どうですか、京の様子で、なにか変わったことは聞いていませんか」
すると、年配の武士が、酔いで赤くなった顔を引き締めて、厳かな口調で報告した。
「申し訳ございません。歓待を賜りまして、このように見苦しい姿をお目にかけることをお許しください。予想していたことではございますが、京では前(さき)の右大将の家司(けいし)が物々しい警戒態勢で取締りを強化しております」
「やはりそうか」
右大将を奪った自分を、従兄が摂津の武士たちに狙わせているのだということを右大将は知った。
自分はあまりにもうかつだったと右大将は思った。