按察

43
二人は沈黙した。しかし、中の君の方がすぐに笑った。かわいらしい、明るい笑い方だった。
「もう、ご冗談がすぎますわ。私を宣耀殿女御様と見間違えるなんて。もう、困りますわ。それは、とても光栄ですけれども、あり得ないことです。あなた様のお姉様でいらっしゃいました宣耀殿女御様は、天下一の美人という評判が全国に鳴り響いていた方です。私なんか、私なんか、ほんとうに、こんな田舎のみすぼらしい娘ですから、いくらどうあがいても、宣耀殿女御様には、張り合うことなどできませんわ。ほんとうに、私、似ています?」
中の君は、まっすぐ右大将を見た。
「はい。そっくりです。先帝に入内する前のころの姉そのものです。ほんとうに、あなたは、お姉さんではないのですか」
右大将がまじまじと中の君を見ると、中の君は両手で顔を覆って、真っ赤になった。そのしぐさがとても愛らしい。
「もう、右大将様、やめてください。私をからかわないでほしいわ」
「からかってなどいません」
「もう、いいです。でも、うれしいです。私、宣耀殿女御様に憧れて、いつか、あの方のように美しくなりたいと思っておりました。でも、私は、とても宣耀殿女御様にはかないませんけれども、あなた様が、お世辞にでもそうおっしゃって下さることが、とても、とても、とても、うれしいのです」
中の君は、機敏な動作で、身を翻し、琴を弾いた。興奮は感じられたが、丁寧で、心にしみる演奏だった。弾き終わると、右大将が手を叩いた。
「ほんとうに、すばらしい演奏です。あなたほどの腕の方は、京にもいませんよ」
中の君は、赤い頬を両手で押さえた。
「また、そうやって、私をおだてて。困りますわ。私が、調子に乗ってしまうではありませんか。お願いですから、私の悪いところを直して下さい」
「そうおっしゃいましても、悪いところなど一つもありませんよ」
「では、お願いがございます。この曲をあなた様に弾いていただくことはできますでしょうか」
「いや、私の演奏などしたら、せっかくの名演奏の余韻がぶち壊しになってしまいますよ」
「でも、私だって、恥ずかしいのに、こうしてご披露したのですから、右大将様が、弾いて下さらなかったら、不公平ですわ」
懸命に催促する中の君に負け、結局、右大将は演奏することにした。最初の音の響きからして、すでに中の君のものとは明らかに違っていた。近くに控えている女房たちは、驚いた。中の君は、息をするのを忘れたかのように、凍り付いていた。そこにあるのは、波そのものだった。風そのものだった。だれかが波や風の動きを上手にまねて、弦をはじいているというのではなく、波や風が騒ぎまわり、遊びまわっているのであった。
右大将が何事もなかったかのように、琴から離れ、中の君を見ると、彼女は、明るい歓声を上げた。
中の君は右大将にすっかり感服し、琴の演奏を教えてほしいと願った。右大将も中の君のほんの些細ないくつかの欠点を直してあげたいという気持ちになった。
それから長い時間二人は並んで琴を弾いた。弾いているうちに、自然と二人の気持ちは溶け合った。その気持ちのままに、いつしか二人は体を重ねていた。気がつくと明け方であったので、右大将は、心残りを断ち切って、自分の部屋に戻った。自分の部屋に戻ってからも、右大将は、中の君の琴の音と中の君の美しい髪と中の君の柔らかい心のことばかり考えた。
朝、僧都が都はもう落ち着きましたと言った。播磨派が摂津派と交渉し、右大将の安全が確保されたというのだ。
「都にお戻りになりますか?」
「しかし、故大納言様のことで、なにかここで私にお話があるとか? それに……」
「いや、それは帰りの道中にでもゆっくりお話しすればよいことです。それに、もうほとんどその必要もなくなってしまったようです」
右大将は首をひねった。中の君の部屋からは、明るい声が聞こえてきた。
「もう、ご冗談がすぎますわ。私を宣耀殿女御様と見間違えるなんて。もう、困りますわ。それは、とても光栄ですけれども、あり得ないことです。あなた様のお姉様でいらっしゃいました宣耀殿女御様は、天下一の美人という評判が全国に鳴り響いていた方です。私なんか、私なんか、ほんとうに、こんな田舎のみすぼらしい娘ですから、いくらどうあがいても、宣耀殿女御様には、張り合うことなどできませんわ。ほんとうに、私、似ています?」
中の君は、まっすぐ右大将を見た。
「はい。そっくりです。先帝に入内する前のころの姉そのものです。ほんとうに、あなたは、お姉さんではないのですか」
右大将がまじまじと中の君を見ると、中の君は両手で顔を覆って、真っ赤になった。そのしぐさがとても愛らしい。
「もう、右大将様、やめてください。私をからかわないでほしいわ」
「からかってなどいません」
「もう、いいです。でも、うれしいです。私、宣耀殿女御様に憧れて、いつか、あの方のように美しくなりたいと思っておりました。でも、私は、とても宣耀殿女御様にはかないませんけれども、あなた様が、お世辞にでもそうおっしゃって下さることが、とても、とても、とても、うれしいのです」
中の君は、機敏な動作で、身を翻し、琴を弾いた。興奮は感じられたが、丁寧で、心にしみる演奏だった。弾き終わると、右大将が手を叩いた。
「ほんとうに、すばらしい演奏です。あなたほどの腕の方は、京にもいませんよ」
中の君は、赤い頬を両手で押さえた。
「また、そうやって、私をおだてて。困りますわ。私が、調子に乗ってしまうではありませんか。お願いですから、私の悪いところを直して下さい」
「そうおっしゃいましても、悪いところなど一つもありませんよ」
「では、お願いがございます。この曲をあなた様に弾いていただくことはできますでしょうか」
「いや、私の演奏などしたら、せっかくの名演奏の余韻がぶち壊しになってしまいますよ」
「でも、私だって、恥ずかしいのに、こうしてご披露したのですから、右大将様が、弾いて下さらなかったら、不公平ですわ」
懸命に催促する中の君に負け、結局、右大将は演奏することにした。最初の音の響きからして、すでに中の君のものとは明らかに違っていた。近くに控えている女房たちは、驚いた。中の君は、息をするのを忘れたかのように、凍り付いていた。そこにあるのは、波そのものだった。風そのものだった。だれかが波や風の動きを上手にまねて、弦をはじいているというのではなく、波や風が騒ぎまわり、遊びまわっているのであった。
右大将が何事もなかったかのように、琴から離れ、中の君を見ると、彼女は、明るい歓声を上げた。
中の君は右大将にすっかり感服し、琴の演奏を教えてほしいと願った。右大将も中の君のほんの些細ないくつかの欠点を直してあげたいという気持ちになった。
それから長い時間二人は並んで琴を弾いた。弾いているうちに、自然と二人の気持ちは溶け合った。その気持ちのままに、いつしか二人は体を重ねていた。気がつくと明け方であったので、右大将は、心残りを断ち切って、自分の部屋に戻った。自分の部屋に戻ってからも、右大将は、中の君の琴の音と中の君の美しい髪と中の君の柔らかい心のことばかり考えた。
朝、僧都が都はもう落ち着きましたと言った。播磨派が摂津派と交渉し、右大将の安全が確保されたというのだ。
「都にお戻りになりますか?」
「しかし、故大納言様のことで、なにかここで私にお話があるとか? それに……」
「いや、それは帰りの道中にでもゆっくりお話しすればよいことです。それに、もうほとんどその必要もなくなってしまったようです」
右大将は首をひねった。中の君の部屋からは、明るい声が聞こえてきた。