按察

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 裸の木に鳥がとまる。そうかと思うとすぐに別の裸の木にとまる。花のついた木にもとまる。
 中将の君は、あれから何年たったのか考えた。
 もとの主人の関白は亡くなった。大納言は右大臣になった。右大将は大納言になった。按察を兼任するのもそう遠くないという。中将の君には難しい政治のことはわからないが、大納言でも按察を兼ねている人は別格だそうだ。将来左大臣や太政大臣、関白になる割合が高いという。
 右大将、いや、大納言の父も按察の大納言であった。最後は左大臣にまで昇任した。関白があれほど高齢になるまで生きなかったならば、関白になっていたかもしれない。この二人が尊敬する故大納言――この人はあまりにも大納言という印象が強いので、いまだに世の多くの人が、故大納言、故大納言と言って慕っている。故大納言も按察の大納言であった。だから、中には、故大納言のことを、按察の大納言と言ったり、単に按察とだけ言ったりする者も多かったのだが、そういうわけで、按察の大納言とか、按察とかいうと、現代では故大納言その人を指すといってもよいくらいであった。それで、故大納言、もしくは按察も最後は左大臣にまで昇任した。その後、太宰の帥に落とされ、九州でなくなった。それ以来京では変事が続いた。先帝が急に亡くなった。皇后も亡くなった。右大将の父は、左大臣が太宰の帥に降格させられたため、その空いた役割を補うことになったが、数年後になくなった。右大将の姉の宣耀殿女御も亡くなった。これを世間の人は按察の怨念として、非常に恐れた。地震や火災、洪水、飢饉なども立て続けに起こったから、この説はあっという間に日本国中に広まった。新しく帝位に就いたばかりの現在の天皇の初仕事は、按察の怒りをなだめることだった。各地の神社でお祓いが行われ、各地の仏閣で法要が営まれたが、効き目はなかった。按察の邸宅跡を改築し、按察の天神として祭ると、はじめて災害が治まった。
 按察は、幼少のころから利発な皇子で、父の帝から愛されたから、だれもが将来の天皇として期待したが、どういうわけか急に臣籍降下によって源氏になってしまった。それでも天性の能力を発揮して、臣下としてほとんど最高の位にまで上りつめたのである。帝(按察の弟)の二宮に娘を嫁がせ、政権運営の基盤も盤石になりつつあった。二宮は按察のように才覚も人望もあった。一時は皇太子を一宮から二宮に変更しようという機運もあったが、それも急に風向きが変わってしまった。
 思えばあのとき二宮を皇太子に変更しなかったのは、ほんとうに意外だった。中将の君は思った。一宮は言動が異常で帝の任には耐えられないから、二宮に代えるべきだという意見は、世間一般の常識だったのだ。帝もそれに賛同していたし、皇后さえそれがよいと考えているということを聞いたことがある。按察をだれよりも頼りにしていた右大将の父は、その準備を始めていたのである。二宮が皇太子になり、やがて帝位に就き、按察の娘が産んだ子が皇太子になれば、按察は摂関としてこの日本を大いに発展させたであろう。世間の人々はみなそれを期待していた。昨今の世の乱れで、天皇の権威が著しく弱まってしまったのは、ほんとうによくないことだ。この状況を変えられるのは、おそらく按察しかいなかっただろう。それなのになぜそうならなかったのだろう。あのときの失敗以来、按察からは徐々に力が失われていった。左大臣にはなれたものの、あっという間に大宰府に流されてしまった。二宮を皇太子にすべく陰謀を働いた証拠が、そのときから数年もたって出てきたというのが検非違使の見解なのだが、ほんとうだろうか。
 しかし、世の中はまた変わり始めた。中将の君は、自分の手柄のように誇らしくなっていた。右大将が大納言になったからには、理想的な政治をしてくれるだろう。故大納言が果たせなかった政策も実現できるだろう。按察は藤原摂関家の人ではないという弱みを持っていた。しかし右大将は摂関家だ。藤原北家の期待を集めている。すでに邪魔な前右大将は没落しつつある。
 琴の音が鳥の声を誘った。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 按察
◆ 執筆年 2023年8月5日