按察

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51

 満開の梅の花を、めじろが慌ただしく飛びまわった。
 大納言は琴を弾くことに夢中になった。少年のころは姉と競い合った。しかし、姉が入内してしまうと、琴を弾くことが楽しくなくなった。政務も忙しくなったから、弾く時間がなくなったこともあった。姉ほどの演奏者がいなくなったから、もの足りないということもあった。
 しかし、明石から、二宮の中の君が来て以来、また、琴を弾く時間が増えた。中の君が上手なので張り合いがあるということもある。中の君が琴を教わりたくてせがむということもある。一番には中の君といっしょにいつまでもいたいのであった。大納言は琴を弾いていると、いつまでも姉といられるのがうれしかったのだと、この年になってやっと気づいたのであった。そういう気持ちは姉に対して持つ以外は、たえてなかったのである。中の君に出会えたことは、ほんとうに幸運なことであった。
 中の君といっしょになって、ずいぶん年数が経過した。その間に三人の子どもを授かった。上の子はまだそれほどの年ではないが、皇太子に嫁ぐことは、ほぼ決まっている。下の子はもう少し大きくなったら殿上童になる。そして、産まれたばかりの女の子は、今日、五十日(いか)の祝いの日を迎えた。
 左大臣と右大臣は、皇太子が天皇に即位することを了承している。現在の天皇は、病気で苦しんでいる。そして、皇太子に譲位するご意志がおありだ。ご退位なさる日取りも内々に決定している。あとは、その日が来るのを待つだけだ。
 従兄は悔しがっている。あいつは、天皇には娘を入内させたが、皇太子と四宮にはそれができていない。こちらの計画を阻止したいのだろうが、摂津派も播磨派に押さえられているから、なにもすることができないようだ。
 皇太子が即位すれば、上の娘はいずれ皇后になるだろう。私が関白になるのも難しいことではないだろう。息子には私の補佐をしてもらわねばならない。下の娘もいずれは四宮と結婚してもらい、摂関体制の流れを盤石なものにしなければならない。そのうえで、荘園を改革し、武士を制御しなければならない。武士を定期的に国替えしてしまえば、大勢力を持てなくなるだろうか。全国の武士を定期的に京で警護に当たらせるのも効果があるだろう。僧都はほかにも考えているようだが、早く武士の管理を実現しないと、ほんとうに天皇制は持たなくなってしまうだろう。故大納言の理想を早く実現したいものだ。それにはまず、皇太子が天皇になり、上の娘が皇后になり、私が関白になることが、どうしても必要なのだ。僧都もこのために努力してきたのだ。
「失礼いたします」
 中将の君が声をかけた。琴の音が止まった。
「検非違使の別当がお目にかかりたいと申しております」
「検非違使の別当がなんの用だろう?」
「お通ししましょうか?」
「ああ、そうしてください」
 しばらくすると、検非違使の別当が入ってきた。
「突然お邪魔いたしまして、誠に申し訳ございません」
「いや、暇つぶしに琴を弾いているだけですから、構いませんよ」
「実は主上の女房を解雇いたしました。もちろん主上がそのようになさったのですが」
「そのことをわざわざ伝えにいらっしゃったのですか?」
「毒物を大量に持っておりまして、どうも主上の病気の原因はこれだったようです」
「なんと! それはとんでもないことですね」
「この女房を解雇されると、主上の体調が回復されました」
「それはよかったです。私も安心いたしました」
「女房は僧都の紹介で主上にお仕えすることになったと言うのですが、間違いありませんか」
 女房の名前を聞いたが、大納言は知らなかった。
「そうですか。僧都も知らないとおっしゃるのです」
 大納言はなにかが起きたと思った。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 按察
◆ 執筆年 2023年8月5日