按察
58
御簾越しに差し込んだ陽ざしが、畳に縞模様を作り、空気がほんのりと暖まった。
夕美姫は、かわいらしい手で一生懸命琴を弾いた。あどけないが、しっかりした手つきである。ほんとうに初心者らしい曲を弾いていたが、決して悪いものではなかった。
一曲終わると、源氏は拍手で讃えた。
「姫君、とてもお上手ですよ。あなたは、きっとすばらしい演奏者になれるでしょう」
赤みを帯びた顔を源氏に向け、夕美姫は笑顔をこぼした。
「もう一曲弾いてもいいですか」
「もちろんです。何曲でもお願いいたします」
夕美姫は、張り切って次の曲にかかった。最後まで乱れずに弾き終えた。
「ほんとうに、姫君は素質がありますねえ」
夕美姫は、源氏に駆け寄り、訴えた。
「少将様、お願いがあります。私の素質を伸ばすために、お稽古をつけていただけますか」
真剣に大人びた言葉を口にするのが、源氏にはかわいらしく思えた。
「もちろんです。それでは、ごいっしょに弾かせてください」
源氏が琴の前に座り、春の曲を弾き始めると、桜が舞い散っているような気持ちがして、夕美姫は思わず御簾の外に目をやった。すると、ほんとうに桜の花が舞っていた。
「わあ、ほんとうに桜みたいな音色」
「すてきですわね」
水海もうっとりしながら外を見た。
「どうして少将様は、桜みたいに弾けるのですか」
夕美姫は、まっすぐ源氏を見て、率直にきいた。その真面目そうな瞳が、とてもかわいいと、源氏は思った。源氏も真面目に答えた。
「私は、桜みたいに弾こうとは思っていないのです。桜の花がとても可憐に舞うので、それがすばらしいと思って、その気分のままに演奏しますと、自然にこのような音が出るのです」
「弾こうとするのではなくて、自然に弾けるの?」
源氏はほほえんだ。
「そうなのです。桜みたいな音を作ろうと思って、琴を弾くと、わざとらしい音が出てしまいます。自分がなにかに感動したら、その感動をそのまま琴に伝えると、琴がすてきな音を出してくれるのです」
夕美姫は、首をかしげた。
「琴は、音を出してくれるのですか?」
「ええ、姫君は琴に音を出してもらったことはございませんか?」
夕美姫は、首をひねって、考え込んだ。
「そういえば、少将様が来ないかなと思って、ほんとうに来てくださったときには、琴が楽しそうな音になります」
源氏は笑った。
「わあ、光栄ですね。私などを待っていてくださるなんて」
「でも、少将様が来るかなと思って、結局来ない日には、琴も悲しそうな音になりますよ」
源氏も悲しそうな顔になった。
「それはいけませんね。それでは、私は、もっと頻繁にこちらへ遊びに来ることにしましょう」
「頻繁?」
「たくさんということです」
夕美姫は、両手をあげた。
「うれしいです。これからは、たくさん会いに来てくださるのですね」
「もちろんです。姫君が桜みたいな音色を出せるまで、みっちりお稽古いたしますよ」
夕美姫は、長い間、熱心に琴の練習をしたが、そのうちに疲れて寝入ってしまった。水海が衣(きぬ)をかけ、楽器などを片づけた。源氏は自分の部屋に戻った。
しばらくすると、水海が源氏の部屋に入ってきた。源氏に飲み物など世話をして、打ち解けた話を始めた。源氏にとっては、居心地の悪い京から離れ、近江のこの屋敷で水海と話をするときが、いちばん心が安らぐのだった。
「少将様、姫君にあのような約束をなさって、大丈夫ですか」
「こういう目的ができれば、あなたにもっと会えるではありませんか」
夕美姫は、かわいらしい手で一生懸命琴を弾いた。あどけないが、しっかりした手つきである。ほんとうに初心者らしい曲を弾いていたが、決して悪いものではなかった。
一曲終わると、源氏は拍手で讃えた。
「姫君、とてもお上手ですよ。あなたは、きっとすばらしい演奏者になれるでしょう」
赤みを帯びた顔を源氏に向け、夕美姫は笑顔をこぼした。
「もう一曲弾いてもいいですか」
「もちろんです。何曲でもお願いいたします」
夕美姫は、張り切って次の曲にかかった。最後まで乱れずに弾き終えた。
「ほんとうに、姫君は素質がありますねえ」
夕美姫は、源氏に駆け寄り、訴えた。
「少将様、お願いがあります。私の素質を伸ばすために、お稽古をつけていただけますか」
真剣に大人びた言葉を口にするのが、源氏にはかわいらしく思えた。
「もちろんです。それでは、ごいっしょに弾かせてください」
源氏が琴の前に座り、春の曲を弾き始めると、桜が舞い散っているような気持ちがして、夕美姫は思わず御簾の外に目をやった。すると、ほんとうに桜の花が舞っていた。
「わあ、ほんとうに桜みたいな音色」
「すてきですわね」
水海もうっとりしながら外を見た。
「どうして少将様は、桜みたいに弾けるのですか」
夕美姫は、まっすぐ源氏を見て、率直にきいた。その真面目そうな瞳が、とてもかわいいと、源氏は思った。源氏も真面目に答えた。
「私は、桜みたいに弾こうとは思っていないのです。桜の花がとても可憐に舞うので、それがすばらしいと思って、その気分のままに演奏しますと、自然にこのような音が出るのです」
「弾こうとするのではなくて、自然に弾けるの?」
源氏はほほえんだ。
「そうなのです。桜みたいな音を作ろうと思って、琴を弾くと、わざとらしい音が出てしまいます。自分がなにかに感動したら、その感動をそのまま琴に伝えると、琴がすてきな音を出してくれるのです」
夕美姫は、首をかしげた。
「琴は、音を出してくれるのですか?」
「ええ、姫君は琴に音を出してもらったことはございませんか?」
夕美姫は、首をひねって、考え込んだ。
「そういえば、少将様が来ないかなと思って、ほんとうに来てくださったときには、琴が楽しそうな音になります」
源氏は笑った。
「わあ、光栄ですね。私などを待っていてくださるなんて」
「でも、少将様が来るかなと思って、結局来ない日には、琴も悲しそうな音になりますよ」
源氏も悲しそうな顔になった。
「それはいけませんね。それでは、私は、もっと頻繁にこちらへ遊びに来ることにしましょう」
「頻繁?」
「たくさんということです」
夕美姫は、両手をあげた。
「うれしいです。これからは、たくさん会いに来てくださるのですね」
「もちろんです。姫君が桜みたいな音色を出せるまで、みっちりお稽古いたしますよ」
夕美姫は、長い間、熱心に琴の練習をしたが、そのうちに疲れて寝入ってしまった。水海が衣(きぬ)をかけ、楽器などを片づけた。源氏は自分の部屋に戻った。
しばらくすると、水海が源氏の部屋に入ってきた。源氏に飲み物など世話をして、打ち解けた話を始めた。源氏にとっては、居心地の悪い京から離れ、近江のこの屋敷で水海と話をするときが、いちばん心が安らぐのだった。
「少将様、姫君にあのような約束をなさって、大丈夫ですか」
「こういう目的ができれば、あなたにもっと会えるではありませんか」