按察

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 炭は、ぱちっ、ぱちっと、時折はねた。長い夜を、水海と話をしながら過ごすのは、ほんとうに必要なことであると、源氏は思った。特に、今夜の話は、長期的な戦略を練るために、いつかじっくりと、それを語れるだれかと、一度しておかなければならないことであった。水海のような賢い女性であれば、その相手として不足はなかった。水海は、自分の得た情報に基づいて、必ず期待以上の行動をしてくれるであろう。
「あなたのことを、私はだれよりも大切に思い、そして、期待しています。だから、私の考えていることを、余すところなくお話ししましょう」
 水海は、いっそう真面目な表情になった。
「はい、かしこまりました。それでは、身支度をして、そちらに座りましょうか?」
「いや、いいのですよ。この方が、安らかな気持ちで話ができます。でも、この姿勢だと疲れますから、上を向きましょうか?」
 源氏は、上を向いて、天井を見た。
 水海も、上を向いた。
「こうして、あなたと横になっていると、気持ちが落ち着きます」
「教育係とは、どういうことでしょうか?」
「ええ、あなたは、近江中から選び抜かれた女性を、この屋敷やあなたのお屋敷に手配する係をなさっていらっしゃいます」
「はい、いつの間にか、そんな役割をさせていただくようになっておりました」
「あなたが、人を見抜き、育てる力があるからですよ」
「そんなことはございませんわ。私は、いろいろな女性たちとおしゃべりをして、その方が望んでいることをできるように、お手伝いしているだけですわ」
「そうです。そういうことができる方というのは、思いのほか少ないのです。あなたはほんとうにすばらしい方です」
「そんな、おしゃべりしてほめていただくとは、思いもしませんでしたわ。ふふふ」
 水海が笑うと、源氏も声を上げて笑った。
「ハハハハハ」
「それで、私が女性たちとおしゃべりをすることが、どんなお役に立つのでしょうか?」
「ええ、私は京に人材を育成する場所を持っています」
「人材を育成する場所?」
「そうです。なにしろ京は人手不足で困っています。宮中にしろ、東宮のお住まいにしろ、親王家にしろ、摂関家にしろ、とにかくたくさんの職員を必要としますからね。それもできるだけ有能な人がほしいと、だれもが思っています。人任せだと、だんだん人材の質が低下していくものです。やはり、その家の当主が自分の目で見て管理しなければだめなものです」
「はい。それは、きっとそういうものなのでしょうね」
「実は私が持っている場所というのは、播磨派のお寺なんですよ」
「播磨派のお寺? なんでまた?」
「話すと長くなるのですが、播磨派を統括している僧都とは、ちょっとした付き合いがあるのです」
「少将様が皇族でいらっしゃったとき、僧都がお仕えしていたということですか?」
「さすが水海、よくご存知ですね」
「だれでも知っていることですよ」
 源氏は、この先を話そうか話すまいか、迷った。どうしようかと思ったが、水海に選んでもらうのがいちばんいいだろうと考えた。
「水海」
「はい、なんでしょう?」
「あなたは、この先も聞きたいですか?」
 水海は、一瞬ためらった。しかし、きっぱりと言った。
「私は、少将様と運命をともにいたします」
 源氏は、口を開かなかった。
「少将様、水海は、あなた様を裏切ったり、いたしませんわ」
 源氏は、ほほえんだ。
「そんなことは、わかっておりますよ。私は、あなたのことを心から信頼しております。ただ」
「ただ?」
「この先を話すと、もう前には戻れなくなってしまうので、心配です」
「私は、あなた様のためでしたら、火の中でも、水の中でも、飛び込みます」
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 按察
◆ 執筆年 2023年8月5日