按察

63
棚から花をつけたつるが下がり、そこを通って鳥が欄干まで飛び、先に飛んできた仲間の近くに止まった。廊を歩いてくる音が聞こえると、鳥たちはまた藤の方まで立ち返った。廊の暗いところから明るいところに出た女たちの顔や衣服に日が当たると、古い建物は急に華やかになった。
考えるのに疲れて、ぼんやりと外を見ていた左大臣は、その中の一人に目が何度か行った。昨年からこの屋敷に住んでいる女房で、可須水(かすみ)といった。特にこれといって美しいというわけでもないが、かといって欠点があるというわけでもなく、やはり、それはそれで、男たちからとても好まれているのだった。それは、彼女がよく気がつくためでもあり、明るくにこやかであるためでもあった。左大臣は、特に可須水のものの言い方が気に入っていた。可須水は、なにも用事がなくても、なにかと左大臣に声をかけるのだった。顔を合わせると、なにかご用はございませんかと言うのが、口癖のようになっていた。左大臣は、たいがいは、大丈夫だよ、ありがとうと答えたが、ちょっと頼みたいことがあると、可須水に頼んだ。それで、そのうちに可須水は左大臣の世話役のようになっていった。左大臣付の女房たちは、初めは当惑したが、可須水が万事そつなく振る舞うので、そのうちに左大臣の部屋ではなくてはならない人になった。もちろん、そうなる以前に左大臣は可須水を正式に左大臣付の女房に任命していた。
北の方は、愛くるしい可須水を快く思わなかった。少納言の娘だというが、少納言は一緒に暮らしたことがなく、大きくなるまでどこかの地方で暮らしていたのを、母親が亡くなったので、引き取ったのだ。どこの地方と言ったのは、北の方は覚えていなかった。丹波か和泉か、そういったところだが、そういうことは北の方の関心外のことだったので、聞いた翌日には忘れてしまっていた。とにかく少納言に引き取られてすぐ、式部卿の宮かその娘の斎宮女御の屋敷に仕えていた。左大臣邸で女房が不足しているので、左大臣が宮中で宴席のとき、式部卿の宮と世間話をしながら、適当な女房がいないか相談すると、紹介されたのだ。北の方は、女の勘で、なんとなく可須水が気に入らなかった。左大臣にむやみに近づこうとしたのもそうだし、生育歴もそうだった。しかし、可須水は北の方の勘を裏切った。仕事がよくできるし、言動もそつないのだ。立ち居振る舞いも田舎びていないし、衣服の着こなしも申し分なかった。和歌も琴の演奏も見事である。話は面白く、節度があった。つけいる隙がないのである。やはり少納言が由緒正しい女性とのあいだに設けた娘と考えざるをなかった。
北の方があまり可須水にうるさいことを言わなくなってきたので、左大臣は次第に大胆に可須水を扱うようになった。
「失礼いたします」
可須水の声だった。
「どうぞ、お入り」
可須水が美しい藤の花房を手に、部屋の奥に歩いた。
「左大臣様、こんなに見事になりましたわ」
「今年は、例年になく、よく咲いたな」
「はい」
可須水は花器に手際よく藤の花を活ける。
「少納言は、囲碁の名人だと聞いたぞ」
可須水は少納言と呼ばれていた。
「そんな、名人だなんて、とんでもありません」
「どうだ。今夜私と一局」
可須水はうれしかったが、その気持ちをかろうじて抑えた。
「そんな、殿にすぐに負かされますわ。あっという間に終わってしまいますから、つまらないですわよ」
「わかった。少納言にあっという間に負かされて、つまらないと思われることのないように、これから精一杯練習しておくことにするよ」
「そんな、ほんとうによろしいのですか。私などと」
「私は、囲碁は下手の横好きで、相手の迷惑も顧みず、指さずにいられない方でね」
「それほどおっしゃるのでしたら、承知いたしましたわ。がっかりなさらないでくださいね」
可須水は、ついに今夜が来たと思った。
考えるのに疲れて、ぼんやりと外を見ていた左大臣は、その中の一人に目が何度か行った。昨年からこの屋敷に住んでいる女房で、可須水(かすみ)といった。特にこれといって美しいというわけでもないが、かといって欠点があるというわけでもなく、やはり、それはそれで、男たちからとても好まれているのだった。それは、彼女がよく気がつくためでもあり、明るくにこやかであるためでもあった。左大臣は、特に可須水のものの言い方が気に入っていた。可須水は、なにも用事がなくても、なにかと左大臣に声をかけるのだった。顔を合わせると、なにかご用はございませんかと言うのが、口癖のようになっていた。左大臣は、たいがいは、大丈夫だよ、ありがとうと答えたが、ちょっと頼みたいことがあると、可須水に頼んだ。それで、そのうちに可須水は左大臣の世話役のようになっていった。左大臣付の女房たちは、初めは当惑したが、可須水が万事そつなく振る舞うので、そのうちに左大臣の部屋ではなくてはならない人になった。もちろん、そうなる以前に左大臣は可須水を正式に左大臣付の女房に任命していた。
北の方は、愛くるしい可須水を快く思わなかった。少納言の娘だというが、少納言は一緒に暮らしたことがなく、大きくなるまでどこかの地方で暮らしていたのを、母親が亡くなったので、引き取ったのだ。どこの地方と言ったのは、北の方は覚えていなかった。丹波か和泉か、そういったところだが、そういうことは北の方の関心外のことだったので、聞いた翌日には忘れてしまっていた。とにかく少納言に引き取られてすぐ、式部卿の宮かその娘の斎宮女御の屋敷に仕えていた。左大臣邸で女房が不足しているので、左大臣が宮中で宴席のとき、式部卿の宮と世間話をしながら、適当な女房がいないか相談すると、紹介されたのだ。北の方は、女の勘で、なんとなく可須水が気に入らなかった。左大臣にむやみに近づこうとしたのもそうだし、生育歴もそうだった。しかし、可須水は北の方の勘を裏切った。仕事がよくできるし、言動もそつないのだ。立ち居振る舞いも田舎びていないし、衣服の着こなしも申し分なかった。和歌も琴の演奏も見事である。話は面白く、節度があった。つけいる隙がないのである。やはり少納言が由緒正しい女性とのあいだに設けた娘と考えざるをなかった。
北の方があまり可須水にうるさいことを言わなくなってきたので、左大臣は次第に大胆に可須水を扱うようになった。
「失礼いたします」
可須水の声だった。
「どうぞ、お入り」
可須水が美しい藤の花房を手に、部屋の奥に歩いた。
「左大臣様、こんなに見事になりましたわ」
「今年は、例年になく、よく咲いたな」
「はい」
可須水は花器に手際よく藤の花を活ける。
「少納言は、囲碁の名人だと聞いたぞ」
可須水は少納言と呼ばれていた。
「そんな、名人だなんて、とんでもありません」
「どうだ。今夜私と一局」
可須水はうれしかったが、その気持ちをかろうじて抑えた。
「そんな、殿にすぐに負かされますわ。あっという間に終わってしまいますから、つまらないですわよ」
「わかった。少納言にあっという間に負かされて、つまらないと思われることのないように、これから精一杯練習しておくことにするよ」
「そんな、ほんとうによろしいのですか。私などと」
「私は、囲碁は下手の横好きで、相手の迷惑も顧みず、指さずにいられない方でね」
「それほどおっしゃるのでしたら、承知いたしましたわ。がっかりなさらないでくださいね」
可須水は、ついに今夜が来たと思った。