按察

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 卯の花を揺らして、木いちごが廊を歩いた。
「失礼いたします」
「入れ」
「失礼いたします」
 木いちごは、中に入り、卯の花を見事に活けた花器を奥に置いた。
「見事な卯の花ですね」
「いえ、この家にあるもので、今年はあまりよくありません」
 少将が僧都に答えた。
「ほう、これであまりよくないのなら、いつもの年のものは、さぞかし美しいのでしょうね」
「いえ、この家のものなど、たいしたものではありませんが、よろしければ、お届けいたしましょう」
「それはありがとうございます。卯の花は、大好きなのですよ」
 卯の花を鑑賞する僧都と少将から少し離れて、木いちごはかしこまって座っている。
「しかし、花というものは、象徴的ですね」
 僧都が言った。
「象徴的とは?」
 少将は、不思議そうな顔をした。
「だれもが見事だと思うのは花の方ですが、ほんとうはその木にとって必要なのは、実の方です」
「なるほど人間がその木の顔と思っているものは、花ですが、その木の本体は実の方ですね。そういうことですか」
「その通りです。人間も同じですね」
「人間も?」
「ええ、この日本をまとめているものは、天皇や貴族たちですが、それは、目に見えるもので、本体は、地方の軍事及び政治組織です」
「それは、大和朝廷ができるずっと昔からそうでした」
「大和朝廷の近江派、平安王朝の摂津派」
「そうです。それから、あなたがたの播磨派は、邪馬台国の昔から、九州を中心に西国を統括する、非常に由緒正しい勢力です」
「最近はすっかり摂津に吸収されてしまいましたが、東国も昔から恐れられていましたね」
「東国は全部摂津に吸収されてしまったわけではありませんよ。近江派がいまだに半分近くはまだ影響力を維持しております」
「ああ、そうでした。これは失礼いたしました」
「桓武天皇が屈服させた陸奥は、現在ではすっかりおとなしくなりましたが、油断はなりませんね」
「そう、陸奥が反乱を起こしたら、日本は危険な時代に舞い戻るでしょう」
「しかし、こういった構図は、基本的には昔から変わっていないのですね」
「変わっているのは、顔だけです」
「そうですね。特に、貴族たちの顔の変化が顕著ですね」
「天皇は、天皇ですからね」
「それに対して、貴族は、蘇我氏、大伴氏、紀氏、藤原氏と、さまざまです」
「その時代の地方組織が、もっとも自分たちの利益にかなう貴族を顔として、置いておくのです」
「まさに花のように、優雅な外面ですね」
「しかし、実の方は、古代は播磨派、奈良の都は近江派、現代は摂津派です」
「あなたは、花でいられますよ」
 僧都が少将の目を見つめた。
「私は、花も実も好きでして」
 少将は、日本の花になるような位置からは少し遠かったが、将来はだれにもわからないと思っていた。また、実を求めるためには、花も重要であると思っていた。
 僧都は、しばらくあきれたような顔で少将を見ていたが、すぐに大きな声で笑い出した。
「ははははははははは」
 少将も笑い出した。
「ははははははははは」
 笑いが収まると、僧都は口を開いた。
「あなたは、実にいい。そういう人が、これからの日本を背負って立つのかもしれません」
「しかし、私よりもあなたの方が、そうなる可能性が高いと思いますよ」
 僧都はまた大笑いした。
 木いちごは、少将に満足していた。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 按察
◆ 執筆年 2023年8月5日