按察
70
御簾越しに風が入り、また卯の花が揺れた。
「ところで、少納言が手紙を返すときに、このような手紙をつけてきました」
木いちごは、袂から封書を出して、少将の前に置いた。
「これが、私の手紙についていたと?」
「はい、少将様のお手紙の下に重ねてありました。車の中で、そっと袂に入れ、だれにも気づかれないようにいたしました」
「読んでみたか?」
「いえ」
少将は、前にある手紙を取り、封を開けた。可須水からだった。可須水は、左大臣の中の君と仲がよかった。もっとも、人間関係作りの巧みな可須水に仲の悪い人などいなかったが。中の君は、とりわけ可須水を気に入っていて、年頃の女ならではの相談もよくしていた。それで、可須水は、中の君については、相当こまごましたことまで、よく知っているのだった。可須水は、少将に、悪いこととよいことを、両方ともはっきりと告げた。中の君がもっとも好きなのは、頭弁、すなわち、少将の腹違いの弟であり、かつ、宣耀殿女御の同腹の弟である人であった。宣耀殿女御と頭弁は、ことのほか仲がよく、漢詩や和歌、琴を競い合うようにして磨き合い、甲乙つけがたいと世間で評判の二人である。姉の宣耀殿女御は、天下無類の美貌であるが、弟の頭弁もまれにみる美男子である。少将は、中の君が頭弁を一番好きであると聞いても、別段どうということも思わなかった。京中の若い娘の誰もが頭弁を好きなのである。中の君がそうであることは、当たり前と言えば当たり前のことであった。しかし、次の可須水の言葉は、少将を大いに驚かせた。中の君が、頭弁を除くと、もっとも好きなのは少将なのだと言う。これは少将を喜ばせたが、同時に弱らせもした。宣耀殿女御も頭弁も少将も、母に違いはあっても、父はみな同じ、権大納言である。権大納言は非常に容姿端麗であるので、宣耀殿女御と頭弁姉弟が容姿端麗であるのは、当然と言えば当然である。少将はこの二人とは母が違うということもあったが、顔つきも少し違っているところがあり、自分は、父のように容姿が優れているとは思っていなかった。世間では、自分のことを器量がよいなどとほめたりするが、それはお世辞の類であり、ほんとうにそうであるはずがないと決めつけていた。ときどき自分に好意を抱いている姫君がいるようなことを木いちごたちが耳に入れても、それは、木いちごたち侍女がおべんちゃらを言っているか、そのような姫君たちがなにか勘違いをしているか、そのどちらかか、両方であろうと思っていたのである。左大臣の中の君は、非常な美女であり、また、かわいらしい性格であるということは、そういう方面にはまったく疎い少将も知っていたので、そういう人が、まさか自分に好意を持っているということは、現実味のないことにしか思えなかった。自分は、たしかに、現在、やっと少将の地位を得、今後も展開次第では、それなりに昇進できるかもしれない。しかし、状況は複雑であり、いつどうなるか知れたものではない。失脚したら早々に出家して、地方に基盤を求めようと思っている。そんな男のところへ、左大臣家の深窓の令嬢が嫁ぐはずがないのである。現在の情勢においては、天皇か皇太子に入内させるのが当然である。中の君だって、頭弁のような美貌の秀才に対するあこがれはあっても、現実問題となれば、親に従わざるを得ないであろう。今回はどうしても、木いちごと可須水が直接会って、話す必要があったので、苦肉の策で、中の君に歌を贈ったのであり、まさか本人にその気があるという報告を聞くとは予想外である。しかも、可須水の話だと、左大臣と北の方も、このことに乗り気だという。いったい、どういうことなのだ?
「どういたしましょうか?」
木いちごが笑いを隠せない様子で、そう言った。
「ばかな。ほんとうに結婚するつもりではあるまい」
「いいえ、ほんとうなのです」
「私は、妻はいらない」
少将は、木いちごがいればよかった。
木いちごは、必死に説得を始めた。
「ところで、少納言が手紙を返すときに、このような手紙をつけてきました」
木いちごは、袂から封書を出して、少将の前に置いた。
「これが、私の手紙についていたと?」
「はい、少将様のお手紙の下に重ねてありました。車の中で、そっと袂に入れ、だれにも気づかれないようにいたしました」
「読んでみたか?」
「いえ」
少将は、前にある手紙を取り、封を開けた。可須水からだった。可須水は、左大臣の中の君と仲がよかった。もっとも、人間関係作りの巧みな可須水に仲の悪い人などいなかったが。中の君は、とりわけ可須水を気に入っていて、年頃の女ならではの相談もよくしていた。それで、可須水は、中の君については、相当こまごましたことまで、よく知っているのだった。可須水は、少将に、悪いこととよいことを、両方ともはっきりと告げた。中の君がもっとも好きなのは、頭弁、すなわち、少将の腹違いの弟であり、かつ、宣耀殿女御の同腹の弟である人であった。宣耀殿女御と頭弁は、ことのほか仲がよく、漢詩や和歌、琴を競い合うようにして磨き合い、甲乙つけがたいと世間で評判の二人である。姉の宣耀殿女御は、天下無類の美貌であるが、弟の頭弁もまれにみる美男子である。少将は、中の君が頭弁を一番好きであると聞いても、別段どうということも思わなかった。京中の若い娘の誰もが頭弁を好きなのである。中の君がそうであることは、当たり前と言えば当たり前のことであった。しかし、次の可須水の言葉は、少将を大いに驚かせた。中の君が、頭弁を除くと、もっとも好きなのは少将なのだと言う。これは少将を喜ばせたが、同時に弱らせもした。宣耀殿女御も頭弁も少将も、母に違いはあっても、父はみな同じ、権大納言である。権大納言は非常に容姿端麗であるので、宣耀殿女御と頭弁姉弟が容姿端麗であるのは、当然と言えば当然である。少将はこの二人とは母が違うということもあったが、顔つきも少し違っているところがあり、自分は、父のように容姿が優れているとは思っていなかった。世間では、自分のことを器量がよいなどとほめたりするが、それはお世辞の類であり、ほんとうにそうであるはずがないと決めつけていた。ときどき自分に好意を抱いている姫君がいるようなことを木いちごたちが耳に入れても、それは、木いちごたち侍女がおべんちゃらを言っているか、そのような姫君たちがなにか勘違いをしているか、そのどちらかか、両方であろうと思っていたのである。左大臣の中の君は、非常な美女であり、また、かわいらしい性格であるということは、そういう方面にはまったく疎い少将も知っていたので、そういう人が、まさか自分に好意を持っているということは、現実味のないことにしか思えなかった。自分は、たしかに、現在、やっと少将の地位を得、今後も展開次第では、それなりに昇進できるかもしれない。しかし、状況は複雑であり、いつどうなるか知れたものではない。失脚したら早々に出家して、地方に基盤を求めようと思っている。そんな男のところへ、左大臣家の深窓の令嬢が嫁ぐはずがないのである。現在の情勢においては、天皇か皇太子に入内させるのが当然である。中の君だって、頭弁のような美貌の秀才に対するあこがれはあっても、現実問題となれば、親に従わざるを得ないであろう。今回はどうしても、木いちごと可須水が直接会って、話す必要があったので、苦肉の策で、中の君に歌を贈ったのであり、まさか本人にその気があるという報告を聞くとは予想外である。しかも、可須水の話だと、左大臣と北の方も、このことに乗り気だという。いったい、どういうことなのだ?
「どういたしましょうか?」
木いちごが笑いを隠せない様子で、そう言った。
「ばかな。ほんとうに結婚するつもりではあるまい」
「いいえ、ほんとうなのです」
「私は、妻はいらない」
少将は、木いちごがいればよかった。
木いちごは、必死に説得を始めた。