按察
72
卯の花に裾を触れながら、男たちは車の手入れをしている。汚れを落とす者、部品を交換する者、いだし衣を器用に設置する者、牛を連れてくる者、牛に水やえさを与える者、女房たちが晴れ着を着てにぎやかに外出する裏では、ほんとうに多くの従者の下働きが必要だ。
準備が整うと、女房たちが美しく装って、快適な室内にそれぞれの座を占めた。男たちからすると、どの女房も高貴な身分であるから、厳重な警戒が必要である。女房の倍の人数の男たちが、牛車を守護し、出発した。
少将邸は二条にあったので、九条にある左大臣邸までは、かなりかかった。
途中で、検非違使が二人、大路に立っていた。往来する者は、必ず検非違使に止められた。
「なにかしら?」
牛車の中から、木いちごが、近くの従者に声をかけた。
「なんでしょう? ちょっと見てきます」
その男は、瞬く間に検非違使のところまで走っていき、二言、三言、検非違使と言葉を交わすと、また、すぐに戻ってきた。木いちごたちの牛車が検非違使のところに着くのには、まだ少し時間があった。
「なんなの?」
「はい。なんでも、このあたりに盗賊が出たということでして、検問をしているそうです」
「検問?」
「女房に変装して、車で平然と逃げていくらしいのです」
「あら、こわい」
「それで、女房車なども、調べられるそうです」
「いやだ」
牛が鳴いた。
「どうしたの?」
「なんでしょう? 喉でも乾いたんでしょうかね」
「水は持ってきているんでしょう?」
「今日は暑いから、もうなくなったようです」
「かわいそうね」
そんなことを言っているうちに、検問所に着いた。
「あ、このような立派なお車の方々にまで、ご協力いただかなくてはならなくて、申し訳ありません。例外を作ると上司にひどく叱られるものですから、どうか、お許しください」
少将の屋敷の、しかも、実にきらびやかな女房車を見て、検非違使たちは、恐縮した。
「いいわよ。どうぞ、ご覧になってください」
木いちごが美しい声で許可すると、検非違使は、だらしなく、でれでれしながら、御簾を上げて、中をのぞいた。
「いやあ、これは、美しい娘さんが三名、いや、なんとも、目の保養でございます。いや、なんとも、よい香りですなあ。本官は、つくづくこのような仕事をしていて、よかったであります」
検非違使たち二人が車の中をのぞいていると、牛の水やらえさやらを世話する男が、小路に入っていった。
「いや、どうも、ありがとうございました。まったく問題ありません。ほんとうに失礼いたしました。それでは、この先、どうぞ、お気をつけて、いってらっしゃいませ」
「どうも、ご苦労様でした」
木いちごが、明るくねぎらった。
木いちごたちの車が、二人の横を通り過ぎようとしたとき、検非違使のうちの一人が、なにかに気づいた。
「あ、すみません。ちょっと、お待ちいただけますか」
「どうかしましたか」
従者頭が振り向いた。
「先ほど、お付き添いの方々は、六名いらっしゃったと思うのですが、今は、五名しかおられません。どちらかへ行かれた方がいらっしゃいますか」
「ああ、ちょっと牛が水を飲みたがっているみたいなので、この近所にもらいに行っているのです」
そう言っているうちに、従者が一人、水を持って戻ってきた。
「あ、すみません。水、もらってきました」
準備が整うと、女房たちが美しく装って、快適な室内にそれぞれの座を占めた。男たちからすると、どの女房も高貴な身分であるから、厳重な警戒が必要である。女房の倍の人数の男たちが、牛車を守護し、出発した。
少将邸は二条にあったので、九条にある左大臣邸までは、かなりかかった。
途中で、検非違使が二人、大路に立っていた。往来する者は、必ず検非違使に止められた。
「なにかしら?」
牛車の中から、木いちごが、近くの従者に声をかけた。
「なんでしょう? ちょっと見てきます」
その男は、瞬く間に検非違使のところまで走っていき、二言、三言、検非違使と言葉を交わすと、また、すぐに戻ってきた。木いちごたちの牛車が検非違使のところに着くのには、まだ少し時間があった。
「なんなの?」
「はい。なんでも、このあたりに盗賊が出たということでして、検問をしているそうです」
「検問?」
「女房に変装して、車で平然と逃げていくらしいのです」
「あら、こわい」
「それで、女房車なども、調べられるそうです」
「いやだ」
牛が鳴いた。
「どうしたの?」
「なんでしょう? 喉でも乾いたんでしょうかね」
「水は持ってきているんでしょう?」
「今日は暑いから、もうなくなったようです」
「かわいそうね」
そんなことを言っているうちに、検問所に着いた。
「あ、このような立派なお車の方々にまで、ご協力いただかなくてはならなくて、申し訳ありません。例外を作ると上司にひどく叱られるものですから、どうか、お許しください」
少将の屋敷の、しかも、実にきらびやかな女房車を見て、検非違使たちは、恐縮した。
「いいわよ。どうぞ、ご覧になってください」
木いちごが美しい声で許可すると、検非違使は、だらしなく、でれでれしながら、御簾を上げて、中をのぞいた。
「いやあ、これは、美しい娘さんが三名、いや、なんとも、目の保養でございます。いや、なんとも、よい香りですなあ。本官は、つくづくこのような仕事をしていて、よかったであります」
検非違使たち二人が車の中をのぞいていると、牛の水やらえさやらを世話する男が、小路に入っていった。
「いや、どうも、ありがとうございました。まったく問題ありません。ほんとうに失礼いたしました。それでは、この先、どうぞ、お気をつけて、いってらっしゃいませ」
「どうも、ご苦労様でした」
木いちごが、明るくねぎらった。
木いちごたちの車が、二人の横を通り過ぎようとしたとき、検非違使のうちの一人が、なにかに気づいた。
「あ、すみません。ちょっと、お待ちいただけますか」
「どうかしましたか」
従者頭が振り向いた。
「先ほど、お付き添いの方々は、六名いらっしゃったと思うのですが、今は、五名しかおられません。どちらかへ行かれた方がいらっしゃいますか」
「ああ、ちょっと牛が水を飲みたがっているみたいなので、この近所にもらいに行っているのです」
そう言っているうちに、従者が一人、水を持って戻ってきた。
「あ、すみません。水、もらってきました」