按察

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 可須水の活けた卯の花が、涼しそうに部屋を彩っている。
 左大臣はうれしそうだった。
「今度の歌は、わかりやすいな」

恋しきに寝ても覚めても燃えさかる我の思ひを人知るらめや

「そうでございますね」
 可須水も、左大臣に同調した。可須水は、木いちごから、事情も聞いている。
 左大臣は、中の君の結婚相手について、悩んでいた。皇太子の一宮に入内させるのが、常識的には、もっとも理想的である。しかし、皇太子は、心に疾病を患っており、天皇に即位するには、少し不安であるという意見が、世間に多かった。皇太子を廃し、二宮を代わりにするべきだという案が、ここへきて、急に浮上してきていた。そうであれば、中の君は、二宮に入内させるのが、よいのである。しかし、二宮には、すでに大納言の娘が嫁していた。これは、近江派が摂津派と同盟を結ぶ際の、条件でもあった。近江派と摂津派が、交互に政権を補佐する。つまり、現在、先々代の故関白の孫に当たる帝が政治を執り、それを補佐しているのは、関白と左大臣である。先々代の故関白は、関白や左大臣の祖父であり、みな摂津派である。しかし、この次に帝に即位するのが二宮で、その補佐をするのが大納言になれば、近江派の政権が誕生する。予定としては、二宮の次が三宮、三宮の次が二宮の子、だいたいそのような構想が、近江派と摂津派の中で、話し合われていた。
 このような政権構想に関する申し合わせを踏まえて、自分たちの子息の婚姻を考えなければならないとすると、左大臣にとって、中の君をどうするかという問題は、そう簡単には決着をつけられないのである。一宮は、先ほどの理由で、候補から除外する。二宮は近江派なので、積極的に候補とすることはできない。となると、三宮に嫁すのが順当のように見えるが、三宮はまだ幼い。左大臣には、ほかにも幾人か娘がいるので、無理に中の君を嫁さずとも、別段支障はない。そうなると、やはり、二宮に嫁しておくという手もあるが、大納言の娘と競わせても、あまり意味はない。現在の取り決めの中では、次は近江派政権になる予定であるわけだから、ここに中の君を使うのは、少しもったいないのである。
 摂関家の構想は、娘を帝に入内させて、次代の帝の摂政、関白ができるようにしておくことだけではない。切れ目なく宮廷に女子を入内させることができるように、摂関家そのものを維持、発展させることも重要なのである。そのためには、娘を親王や公卿に嫁がせ、その子孫からも、帝に入内できるようにしておかなくてはならないのである。特に、現在のような、近江派との同盟下においては、近江派の有力公卿に、娘を嫁しておくことが、近い将来に非常に有益になってくるはずなのである。近江派の大納言が右腕にしている少将であれば、なおさらのことである。二宮が即位したとき、大納言は左大臣か関白になるであろう。そのときには、きっと少将は、大納言以上になっているであろう。中の君の子は、男であれば、公卿の候補に、女であれば、皇太子の夫人になっているであろう。こういった子どもたちは、三宮、あるいは、それ以降の皇子が即位したときへの、大きな布石になるのだ。
 左大臣が大納言から話を持ち掛けられたとき、考えていたのは、だいたいこのようなことであった。ただ、大納言は、左大臣の中の君は、帝や皇太子に入内させるような、摂関家の大切な娘であるから、自分のような取るに足らない者には、もったいない話であるとして、非常にそのことを少将が心配しているとも言った。それは、その通りなのである、以前の状況のときは、左大臣も、少将にとは考えていなかった。しかし、今の状況だと、左大臣は、ぜひ少将にやりたいのである。それに、少将は、有能であった。
 前の歌では、まだ、少将は縁談に乗り気ではないような気がしたのだが、今度は、その気が出たような気がした。
「先ほどの使いも、少将様がご縁談を早く進めたがっていると申します」
 可須水は、木いちごの話を要点に絞った。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 按察
◆ 執筆年 2023年8月5日