按察

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 中の君は、木いちごが活けた常夏を見ていた。
 中の君は、木いちごと少将には、なにか通じ合うものがあるのを感じていた。
 中の君が、少将邸に嫁いできて、まだ何日もたっていない。それでも、この家の空気と匂いには、なにかを感じていた。
 公卿の家に仕えている女房は、その家の主が求めれば、どのような世話であっても、断りにくい立場に置かれていた。中の君の父左大臣も、女房たちをそのように扱っていた。中の君は、主人と女房の関係は、そういうものであると、小さいころから受け止めていた。だから、夫の少将が、木いちごにどんな世話を受けようが気にはならない。しかし、この家では、少将が女房たちを、ほかのたいていの公卿が扱うようには、扱っていなかった。少将は、ほんとうに自分しか寝室に入れなかった。また、女房の局で夜を過ごすこともなかった。少将と話を交わして感じたのは、どうやら自分以外に妻を持つつもりがなさそうだということだった。
 これには、中の君は驚かされた。中の君は左大臣の娘であるから、これまで帝や皇太子、あるいは親王、または公卿のだれかと、いっしょに暮らすことを想定して、女房たちからさまざまな実際的な知識を教わってきた。したがって、主人がほかに妻を持つのは当然だと考えていた。しかし、少将には、まったくそういう欲求がないようであった。中の君一人を生涯大切にすると言う。それは、どんな浮気者の公卿も口にする言葉だと、何人もの女房たちから教わってきたことだ。口先だけのことなので、決して本気で受け取ってはいけませんと言われた。しかし、少将は、ほんとうにそう思っているようであった。まだ会ったばかりだから、少将がそういう方面の外出は控えているのかもしれないとも思った。また、自分の家の女房たちにも、わざとよそよそしく接しているのかもしれないとも思った。しかし、少将は、女房たちと打ち解けた雑談などは、まったくしないのであった。これが、自分の兄の、たとえば、頭中将あたりであれば、まったく考えられないことであった。頭中将は、面白おかしい話をしょっちゅうしていて、いつも女房たちと話し込んでいるのである。女房たちにも結構人気がある。それに比べると、少将邸の女房は、少将となれなれしくおしゃべりをするということがない。これは、自分が来たから遠慮するというよりは、少将の性格から来るもののようであった。少将は、女房たちと雑談するのは、あまり好きではないようである。それは、少将と会話をしているとわかるのである。少将とは会話があまりはずまなかった。それなので、なるべく自分の方から話をするようにするのだが、少将はそれにも必要最低限の言葉をさしはさむだけで、会話が長く続くには至らなかった。だから、二人が寝室で過ごすのは、静かなものであった。女房たちは、気づまりを回避するため、用のないとき以外は、なるべく少将に話しかけないようにしているようであった。
 そういう少将邸の空気がわかってくると、夫が自分以外に妻を持たないと言ったことは、真実なのではないかという気持ちが強くなってくるのである。
 ただ、まだその例外があるのではないかという思いが捨てきれたわけではない。
 その一つの材料が、木いちごであり、もう一つの材料が、越前であった。
 木いちごの雰囲気は、ほかの女房とは明らかに違っていた。絶えず少将のことを気にかけているようなのである。寝室に入るときには、木いちごが付き添ったが、彼女は、控えの間で身じろぎもせず、自分が戻るのを待っているような気がするのである。準備や片付けの際には、少将と二言、三言会話をすることもあるが、これは、ほかの女房が少将と話をするときとは、感じが違っていた。二人の間には、なにかがあるような気がするのである。
 越前のことは、最初の日に、少将から話題にした。
「たまに前に赴任していた越前に行くことがあるが、そのときは、留守を頼む」
 夫の言葉はそれだけだったが、越前には、夫が大切にしているなにかがあると、直感した。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 按察
◆ 執筆年 2023年8月5日