按察
82
可須水が美しく紅葉した萩を活けて、中の君の部屋に置いた。
「あら、きれいに紅葉したわね」
「はい」
「もう、ここへ来てから、結構時間がたったのね」
「左大臣邸にお帰りになりたいですか」
中の君は、首を振った。
「とんでもないわ。この家は、とても気楽に暮らせるので、もう、どこへも行きたくないわ」
中の君は、北の方の子ではなかったので、左大臣邸は、なにかと気づまりなことが多かったのだ。
「私も、こちらのお屋敷が気に入りましたわ」
少将邸は、よく整っていた。左大臣邸は、可須水が仕えるようになってからは、かなりきれいになったが、それでも、どことなく雑然としたところがあった。主人やもとからいた女房たちが無頓着であったから、抜本的には変わらないのであった。あのような締まりのない家から、左大臣や皇后が出るというのは、やはり時代が変わったのだろうと、可須水は思っていた。摂津派は、自分たちの意のままになる人物をねらい、徹底して祭り上げた。左大臣は、兄弟の中でも、それほど才覚があるわけではなかった。摂津派が、金や女などを与えて、身動きできない状態にしたあとで、有望な他氏の排斥工作を実行させたのである。摂津派には、天皇が親政すべきだとか、律令制を復活させるべきだとか、そういう理念的な考えはまったくない。どんな凡人でもかまわないから、手足として使える貴族を見つけ、それを駒として、他の貴族たちの排斥運動の筆頭に据える。実際に排斥するのは、摂津派の武士たちだが、武士たちだけでは動けない。摂津派の棟梁である摂津守であっても、そんなことはできない。摂津守が単独で朝廷に逆らうようなことをすれば、たちまち追討されてしまうだろう。平将門の二の舞になるだけである。あの大乱からずいぶん長い時が過ぎ、さすがに武士たちも成熟してきている。武士たちが直接動いては、鎮圧されるだけなので、隠れ蓑を使うのである。摂関家を隠れ蓑にするのがいちばん効率的だった。豊かな財力で摂関家を取り込んで、あの者は謀反を企てている恐れがあるから、調査しろと自分たちに命じさせる。これならば、摂関家の指示に従って、摂津守が下働きをしたことになる。あとはどうにでもなる。少し金を使えば、証拠を持っている者など、簡単に作れる。こういう原理がいったん働くと、摂関家に反抗するのは、きわめて難しい。摂関家ににらまれたら、社会的生命を失うのである。そうなりたくなかったら、摂関家に服従するしかない。実際に、多くの貴族は、摂関家の左大臣に服従している。左大臣と対等に張り合えるのは、近江派の大納言と播磨派の権大納言ぐらいである。大納言と権大納言の身辺には、常にそれぞれを守護する武士たちが取り巻いていたから、摂津派も簡単には手を出せなかったのである。摂津派と違い、近江派や播磨派は、けじめなく権力を拡大させようとは考えていなかった。両者は、多少の違いはあるが、律令制を重んじる点では、一致していた。近江派の少将の家に入ってみて、中の君は、摂津派との違いを痛感した。摂津派は、現代的でけばけばしいが、さすが近江派は、伝統的で、品格がある。近江派の大納言も播磨派の権大納言も、立派な学者であり、権大納言の子息である頭弁は、当代随一の秀才と言われる。その頭弁の兄に嫁いだ中の君は、そういう環境に身を置けるようになったことがうれしくてならなかった。
ただ、夫の少将は、学問も嫌いではないようだが、どちらかというと、武芸に打ち込んでいるようである。時間があれば、庭に出て、刀や弓矢の稽古をしている。部屋の様子も、貴族の邸宅というよりは、武家屋敷のような質実剛健な雰囲気である。
夫は、越前で山賊が住民を恐れさせているので、それを鎮圧する指揮を執ろうと考えているようである。そういうことは、越前の守や介、あるいは掾がすることであると言っても聞かない。若狭守がその山賊をかばい、ともすると大規模な反乱につながりかねないので、朝廷も動くべきだというのが、夫の持論なのである。
「あら、きれいに紅葉したわね」
「はい」
「もう、ここへ来てから、結構時間がたったのね」
「左大臣邸にお帰りになりたいですか」
中の君は、首を振った。
「とんでもないわ。この家は、とても気楽に暮らせるので、もう、どこへも行きたくないわ」
中の君は、北の方の子ではなかったので、左大臣邸は、なにかと気づまりなことが多かったのだ。
「私も、こちらのお屋敷が気に入りましたわ」
少将邸は、よく整っていた。左大臣邸は、可須水が仕えるようになってからは、かなりきれいになったが、それでも、どことなく雑然としたところがあった。主人やもとからいた女房たちが無頓着であったから、抜本的には変わらないのであった。あのような締まりのない家から、左大臣や皇后が出るというのは、やはり時代が変わったのだろうと、可須水は思っていた。摂津派は、自分たちの意のままになる人物をねらい、徹底して祭り上げた。左大臣は、兄弟の中でも、それほど才覚があるわけではなかった。摂津派が、金や女などを与えて、身動きできない状態にしたあとで、有望な他氏の排斥工作を実行させたのである。摂津派には、天皇が親政すべきだとか、律令制を復活させるべきだとか、そういう理念的な考えはまったくない。どんな凡人でもかまわないから、手足として使える貴族を見つけ、それを駒として、他の貴族たちの排斥運動の筆頭に据える。実際に排斥するのは、摂津派の武士たちだが、武士たちだけでは動けない。摂津派の棟梁である摂津守であっても、そんなことはできない。摂津守が単独で朝廷に逆らうようなことをすれば、たちまち追討されてしまうだろう。平将門の二の舞になるだけである。あの大乱からずいぶん長い時が過ぎ、さすがに武士たちも成熟してきている。武士たちが直接動いては、鎮圧されるだけなので、隠れ蓑を使うのである。摂関家を隠れ蓑にするのがいちばん効率的だった。豊かな財力で摂関家を取り込んで、あの者は謀反を企てている恐れがあるから、調査しろと自分たちに命じさせる。これならば、摂関家の指示に従って、摂津守が下働きをしたことになる。あとはどうにでもなる。少し金を使えば、証拠を持っている者など、簡単に作れる。こういう原理がいったん働くと、摂関家に反抗するのは、きわめて難しい。摂関家ににらまれたら、社会的生命を失うのである。そうなりたくなかったら、摂関家に服従するしかない。実際に、多くの貴族は、摂関家の左大臣に服従している。左大臣と対等に張り合えるのは、近江派の大納言と播磨派の権大納言ぐらいである。大納言と権大納言の身辺には、常にそれぞれを守護する武士たちが取り巻いていたから、摂津派も簡単には手を出せなかったのである。摂津派と違い、近江派や播磨派は、けじめなく権力を拡大させようとは考えていなかった。両者は、多少の違いはあるが、律令制を重んじる点では、一致していた。近江派の少将の家に入ってみて、中の君は、摂津派との違いを痛感した。摂津派は、現代的でけばけばしいが、さすが近江派は、伝統的で、品格がある。近江派の大納言も播磨派の権大納言も、立派な学者であり、権大納言の子息である頭弁は、当代随一の秀才と言われる。その頭弁の兄に嫁いだ中の君は、そういう環境に身を置けるようになったことがうれしくてならなかった。
ただ、夫の少将は、学問も嫌いではないようだが、どちらかというと、武芸に打ち込んでいるようである。時間があれば、庭に出て、刀や弓矢の稽古をしている。部屋の様子も、貴族の邸宅というよりは、武家屋敷のような質実剛健な雰囲気である。
夫は、越前で山賊が住民を恐れさせているので、それを鎮圧する指揮を執ろうと考えているようである。そういうことは、越前の守や介、あるいは掾がすることであると言っても聞かない。若狭守がその山賊をかばい、ともすると大規模な反乱につながりかねないので、朝廷も動くべきだというのが、夫の持論なのである。