All You Need Is Book(本こそすべて)

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  『潮騒』三島由紀夫

 小百合、百恵、ちえみ、と言えば、かつて一世を風靡(ふうび)したアイドルたちだ。この三人、いずれも『潮騒』の主演女優を務めたのだ。ネットなどで調べてみると、山口百恵の演じた初江が好評のようなので、私も初めて、映画『潮騒』なるものを鑑賞してみた。山口百恵の落ち着いた演技と三浦友和のさわやかさがなかなかよかった。主人公が祈った島の神は幸福な縁を約束してくれた。作中人物を演じた山口百恵と三浦友和が末永く結ばれたのも神の御加護か。
 『潮騒』はギリシア世界に憧れていた三島が『ダフニスとクロエー』を現代日本に置き換えて書いた翻案小説である。そう、これは三島が我々日本人のために遺してくれた美しい「神話」なのだ。レスボス島を歌島、羊や山羊の世話をするダフニスとクロエーは、漁師の新治、海女(あま)の初江に置き換えられている。
 純情で誠実な新治と初江は一目見た瞬間から惹かれあう。そこへ、二人を邪魔する者たちが次々に現れる。しかし、引き離されそうになると、いつも不可思議な力が働き、彼らを守ってくれる。二人を守っているのは海の神である。この「神話」には、文明や知識に頼らず、自らの肉体を使って、自分たちが生きていけるだけの自然の恵みを取る暮らしが描かれている。健全な魂は健全な肉体に宿る。その言葉を具現化したような新治と初江の生活は、なによりも尊いものだ。科学技術の発達によって都市化した日本社会が抱える様々な問題に対する一つの解決策がここにはある。人間の素朴な生き方の典型を描き、そこから始まる理想的な社会を追求する上において、『潮騒』はバイブル的な書と位置づけられるだろう。
 自然の恵みへの感謝、自然への畏敬の念。正しい心の勝利、邪悪な心を退ける力。描かれているテーマはいろいろあり、紹介しきれないが、印象的な情景を二つ示してみたい。一つは初江たち海女(あま)が海辺で休息中に乳房競いをするところ。この情景はとてつもなく美しい。ギリシャ神話をモチーフにした彫刻や絵画を眺めているような錯覚がするほどだ。もう一つは、台風のさなか、船をブイにつなぐため、海に飛びこみ泳ぐ新治の力強い描写。ヘミングウェイの『武器よさらば』で、主人公が川をくだり窮地を逃れるハードボイルドなシーンに匹敵する。
 三島と純愛は相当かけ離れたイメージがあるので、『潮騒』の完全無欠な純愛にはかえって不思議なものを感じた。本当に一点の翳りも、わずかな不貞も、新治と初江の心にはない。そういう意味でやはりこれはファンタジーなのであろう。100%純粋な恋物語と、他の多くの作品にみられるような倒錯した性愛。三島の世界は極端だ。
 海のシーズンが来る。『潮騒』を読むのにぴったりだ。(2011/07/06)
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 All You Need Is Book(本こそすべて)
◆ 執筆年 2010年10月15日~