All You Need Is Book(本こそすべて)

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  『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』村上春樹

 村上春樹は麻薬である。つまり、習慣性、常習性が高い。酒やある種の遊び(ゲームやギャンブルなど)のように、一度はまり込むと、なかなか癖が抜けない。そして、やめたあと、心がものすごく虚(むな)しくなり、日常性を回復するのに時間がかかるのも似ている。
 私が「村上」依存症になったのは勤めだして日の浅いころであった。大学時代に『ノルウェイの森』ブームが起こっても、元来ブームとなじまない私は、何事もないように通り過ぎていた。その私が初めて読んだのは、たしか勤務先の女生徒に勧められて手にした『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』だったろう。「村上春樹かあ」と顔をしかめながらページをめくり、気がついたら、食べることも寝ることも何もかも忘れて読み終わっていた。こういう危険な作家はほかにもいる。中高生のころは、筒井康隆だった。二人は常習性の点では似ているが、色合いはまったく違う。筒井はどぎつくて、食べている間は快感なのだが、食後変に胸焼けがするこってりラーメン。村上はスコッチ、または、ビール。飲み過ぎて翌朝後悔するも、日が暮れるといつの間にか持っている。
 現代で言えばコンピューターエンジニアに相当するであろう男が主人公である。老博士の依頼で、ある計算を託されるが、それ以来彼の日常はまさにハードボイルドなものに変貌する。見るからに危険そうな二人組に自室を急襲され、目の前で部屋の中を粉みじんにされる。それだけでなく、プロレスラーのような大きな男に手足を固定されてもうひとりの男からひどい拷問を受ける。彼の危難を救うのは老博士の孫娘だ。彼女は主人公を、敵の手の届かない地下道に案内する。しかし、そこにもまた別の邪悪な存在が待ち受けていて、彼らを魔の巣窟(そうくつ)に引きずり込もうとする。平凡な技術者にすぎない自分がなぜこのような危険な目に合わねばならないのかと主人公は慨嘆する。実は彼自身がまったく意識することのできないところで国家機密に関わっていたのだ。いや、彼自身が国家的な重要機密だったのだ。
 このストーリーとまったく関係ない、もうひとつのストーリーが平行して進行していく。たくさんの一角獣が住む高い壁に囲まれた幻想的な街につれてこられた男の話だ。彼はそこである仕事を与えられ、彼が受け入れるならば極めて充足した生活が約束されるのだが、彼は違和感を払拭できない。
 互いに無縁に見える二つのストーリーがどうつながるかがこの小説の見所だ。心理学、情報工学的な興味をそそられるところも楽しい。
 以前、ある中学校の英語の教科書で、イギリスの民謡の『ダニー・ボーイ』が好きな女の子のことを知った。私も『ダニー・ボーイ』の切ないメロディーに心を打たれた。この小説にもこの曲が奏でられる。この唄がいかにしてストーリーにからみ、読者の心に跡を残すか、是非読み味わってほしい。(2011/09/15)
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 All You Need Is Book(本こそすべて)
◆ 執筆年 2010年10月15日~