All You Need Is Book(本こそすべて)

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『山椒大夫・高瀬舟』森鴎外
鴎外というと真っ先に思い浮かべるのは、文部省(現文部科学省)の仮名遣調査委員会での活躍だ。新しい国作りのため、明治政府はさまざまな制度を変えようとしていた。言語はその最も重要なひとつであった。英語を国語にしようという発言もあった。ローマ字で日本語を表記することも真剣に論じられていた。漢字を廃止してすべて仮名表記しようという動きも盛んであった。
鴎外が関わったのは、仮名遣いを表音化すべきかどうかについての審議であった。文部省は仮名遣いを表音化することを前提に審議を進めていたので、森鴎外が委員にならなければ、現在、「学校」を「がっこう」ではなく「がっこー」、「有名」を「ゆうめい」ではなく「ゆーめー」と表記するのが正しい、ということになっていたかもしれない。調査委員になった森鴎外らが、これに猛反対し、審議を覆したのだ。鴎外はこの時、歴史的仮名遣いも残したのだが、これはその後廃止された。明治は仮名遣いも変わり、新しい熟語が増産された時期だった。あまり変わらなければ、昔の日本語を読むのに苦労しなかったと思うと、複雑な気持ちになる。
東京大学医学部を卒業した鴎外は、ドイツに留学した。ドイツでの恋愛を題材にした『舞姫』に描かれるエリスはあまりにも有名である。帰国後に鴎外を訪ねてエリスが来日したことがあった。この出来事が題材になっていると思われる『普請中』は、ドイツから訪れた若い踊り子をきっぱりとした態度で追い返す若い官吏の話だ。実際の鴎外はエリスとは会わなかった。親戚が対面して説得したのだ。その親戚のひとりに鴎外の妹の夫、小金井良精がいた。小金井良精はSF作家星新一の祖父である。
利休の門人で茶道三斎流の始祖であり、ガラシャ夫人の夫でもあった、熊本藩主細川忠興。その家臣を描いた『興津弥五右衛門の遺書』も味わい深い。主君の命で、弥五右衛門は同僚とふたりで長崎に伽羅(きやら)(沈香(じんこう))という香木(こうぼく)を買いに行く。そこで仙台藩主伊達政宗の家臣とひとつの伽羅を競(せ)りあうことになる。金額がどんどんはねあがっていく。たかが香木に大金を出す必要はない、元来武家には不要の品だ、と主張する同僚と、主君の命はどんなことがあっても遂行すべきだ、と反論する弥五右衛門は、言い争ううちに、刃傷沙汰に及ぶ。結局同僚を討って伽羅を高い値で競り落とした弥五右衛門は罪に問われず、「総て功利の念を以て物を視候(みさうら)はば、世の中に尊(たふと)き物は無くなるべし」と忠興に賞賛される。この言葉には深みがある。
父の敵(かたき)を討つため艱難辛苦する娘とその叔父を描いた『護持院原(ごじいんがはら)の敵討』。大願を果たし老中水野忠邦を始めお歴々から賞賛を浴びる主人公たちの姿は、娘を殺した犯人を執念で追跡し、果ては殺人者として警察に追われる身となる、東野圭吾『さまよう刃』の主人公とは対照的である。刑法のあり方も考えさせられる。
ところで漱石と鴎外の違いをひとつだけ。漱石は笑いを忘れない。鴎外は透き通った目で描く。好みのわかれるところであろう。(2011/11/15)
鴎外というと真っ先に思い浮かべるのは、文部省(現文部科学省)の仮名遣調査委員会での活躍だ。新しい国作りのため、明治政府はさまざまな制度を変えようとしていた。言語はその最も重要なひとつであった。英語を国語にしようという発言もあった。ローマ字で日本語を表記することも真剣に論じられていた。漢字を廃止してすべて仮名表記しようという動きも盛んであった。
鴎外が関わったのは、仮名遣いを表音化すべきかどうかについての審議であった。文部省は仮名遣いを表音化することを前提に審議を進めていたので、森鴎外が委員にならなければ、現在、「学校」を「がっこう」ではなく「がっこー」、「有名」を「ゆうめい」ではなく「ゆーめー」と表記するのが正しい、ということになっていたかもしれない。調査委員になった森鴎外らが、これに猛反対し、審議を覆したのだ。鴎外はこの時、歴史的仮名遣いも残したのだが、これはその後廃止された。明治は仮名遣いも変わり、新しい熟語が増産された時期だった。あまり変わらなければ、昔の日本語を読むのに苦労しなかったと思うと、複雑な気持ちになる。
東京大学医学部を卒業した鴎外は、ドイツに留学した。ドイツでの恋愛を題材にした『舞姫』に描かれるエリスはあまりにも有名である。帰国後に鴎外を訪ねてエリスが来日したことがあった。この出来事が題材になっていると思われる『普請中』は、ドイツから訪れた若い踊り子をきっぱりとした態度で追い返す若い官吏の話だ。実際の鴎外はエリスとは会わなかった。親戚が対面して説得したのだ。その親戚のひとりに鴎外の妹の夫、小金井良精がいた。小金井良精はSF作家星新一の祖父である。
利休の門人で茶道三斎流の始祖であり、ガラシャ夫人の夫でもあった、熊本藩主細川忠興。その家臣を描いた『興津弥五右衛門の遺書』も味わい深い。主君の命で、弥五右衛門は同僚とふたりで長崎に伽羅(きやら)(沈香(じんこう))という香木(こうぼく)を買いに行く。そこで仙台藩主伊達政宗の家臣とひとつの伽羅を競(せ)りあうことになる。金額がどんどんはねあがっていく。たかが香木に大金を出す必要はない、元来武家には不要の品だ、と主張する同僚と、主君の命はどんなことがあっても遂行すべきだ、と反論する弥五右衛門は、言い争ううちに、刃傷沙汰に及ぶ。結局同僚を討って伽羅を高い値で競り落とした弥五右衛門は罪に問われず、「総て功利の念を以て物を視候(みさうら)はば、世の中に尊(たふと)き物は無くなるべし」と忠興に賞賛される。この言葉には深みがある。
父の敵(かたき)を討つため艱難辛苦する娘とその叔父を描いた『護持院原(ごじいんがはら)の敵討』。大願を果たし老中水野忠邦を始めお歴々から賞賛を浴びる主人公たちの姿は、娘を殺した犯人を執念で追跡し、果ては殺人者として警察に追われる身となる、東野圭吾『さまよう刃』の主人公とは対照的である。刑法のあり方も考えさせられる。
ところで漱石と鴎外の違いをひとつだけ。漱石は笑いを忘れない。鴎外は透き通った目で描く。好みのわかれるところであろう。(2011/11/15)