電車は開いた扇のふちを走る
2
だから早めに家を出る。いつもの時間ならこの田舎の小さな駅も出勤客でにぎわうはずだが、ホームに客は数えるぐらいしかいない。やがて車掌が赤い旗を持ってホームの端に立った。四両編成のクリーム色の電車が着いた。圧縮した空気の音がシューシュー言っている。ドアが開く。モーモー、ガウガウ言っている。電車の音はいい。走っているときもいいが、止まってうなっているときもいい。自閉症の人に電車がたまらなく好きな人がいるが、わかる気がする。
電車は走る書斎である。と僕は思っている。朝夕あわせて四十分電車に揺られる時間は馬鹿にできない。いつしか僕は本を読むようになった。読むのは遅いけれども、入社して三年、いつの間にか二、三十冊の本を読んでしまった。一日を縦軸にしての四十分は少ないが、横軸が一日、一日増えていき、三ヶ月も経つとかなり大きな面積になる。こういう面積を有効に使えるかどうかが、情報の氾濫した海原を巧みに航海するこつだと、僕は考えている。
電車は書斎というより作業場の一つであるとも思っている。僕が電車の中で読むのは専ら仕事のための本で、自分の内部を満たすための本ではない。後者は差し当たっての必要に迫られないから、いやおうなしに書庫を肥やしている。いや、僕にとっては書庫を肥やす本を読むことが真実の読書であり、また、良い本は書庫に並べるために買う。だから、真実の読書は電車に揺られながらはしない。電車で読むのは必ず実用書の類であり、それは書庫には並べない。もし置くとしたら部屋が小さくて片付かないからである。
書斎であろうと作業場であろうと電車の中で本を読んでいることに変わりはない。もっと基本的なことを言うと、僕は暇ができると本を読みたくなるのだ。暇ができると誰かと無駄話をしたくなる人と同じように。だから、通勤に四十分も電車に揺られていると、本でも読まなければ時間をつぶせなくて困ってしまう。例えば、今日のようにうっかり忘れたときは。
それで、何も代わり映えのしない景色を眺めているのだ。はじめは単調さに馬鹿馬鹿しくて腹を立てていた。単調さの中に心地よいリズムがあるのに気付いたのはだいぶ時間が経ってからだ。それは一定の間隔で現れる電信柱だった。その動きはとても速い。それより遅い速さで家並みが流れる。その向こうに田野が徐々に移動する。遠くの山並みはほとんど動かない。流れる景物の速度に差があり、ちょうど扇形のような世界を形成しているのだ。僕がこの扇形に気が付くまでに、あまり時間はかからなかった。
大きな扇形のキャンバスがある。一番下に電柱が並んでいる。キャンバスの下の方はものすごい速さで動いていく。それに対して、キャンバスの上の方の景色はほとんど動かない。何分か走っていれば、確かにキャンバスの上の方の山並みの姿は少し変わる。しかし、そのもっと遠くにあるもの、日とか月とか、もっともっと遠くの、数学的に言えば無限の遠距離にある想像上の一点とでもいうべきものは動かない。そう考えてみると、動き出した電車は、想像上の一点を頂点にした扇形のふちに乗って、どこまでも走っていくのだ。
「ねえ、今年は、扇形の柄を控えめに使った服がはやるんだって」
電車は走る書斎である。と僕は思っている。朝夕あわせて四十分電車に揺られる時間は馬鹿にできない。いつしか僕は本を読むようになった。読むのは遅いけれども、入社して三年、いつの間にか二、三十冊の本を読んでしまった。一日を縦軸にしての四十分は少ないが、横軸が一日、一日増えていき、三ヶ月も経つとかなり大きな面積になる。こういう面積を有効に使えるかどうかが、情報の氾濫した海原を巧みに航海するこつだと、僕は考えている。
電車は書斎というより作業場の一つであるとも思っている。僕が電車の中で読むのは専ら仕事のための本で、自分の内部を満たすための本ではない。後者は差し当たっての必要に迫られないから、いやおうなしに書庫を肥やしている。いや、僕にとっては書庫を肥やす本を読むことが真実の読書であり、また、良い本は書庫に並べるために買う。だから、真実の読書は電車に揺られながらはしない。電車で読むのは必ず実用書の類であり、それは書庫には並べない。もし置くとしたら部屋が小さくて片付かないからである。
書斎であろうと作業場であろうと電車の中で本を読んでいることに変わりはない。もっと基本的なことを言うと、僕は暇ができると本を読みたくなるのだ。暇ができると誰かと無駄話をしたくなる人と同じように。だから、通勤に四十分も電車に揺られていると、本でも読まなければ時間をつぶせなくて困ってしまう。例えば、今日のようにうっかり忘れたときは。
それで、何も代わり映えのしない景色を眺めているのだ。はじめは単調さに馬鹿馬鹿しくて腹を立てていた。単調さの中に心地よいリズムがあるのに気付いたのはだいぶ時間が経ってからだ。それは一定の間隔で現れる電信柱だった。その動きはとても速い。それより遅い速さで家並みが流れる。その向こうに田野が徐々に移動する。遠くの山並みはほとんど動かない。流れる景物の速度に差があり、ちょうど扇形のような世界を形成しているのだ。僕がこの扇形に気が付くまでに、あまり時間はかからなかった。
大きな扇形のキャンバスがある。一番下に電柱が並んでいる。キャンバスの下の方はものすごい速さで動いていく。それに対して、キャンバスの上の方の景色はほとんど動かない。何分か走っていれば、確かにキャンバスの上の方の山並みの姿は少し変わる。しかし、そのもっと遠くにあるもの、日とか月とか、もっともっと遠くの、数学的に言えば無限の遠距離にある想像上の一点とでもいうべきものは動かない。そう考えてみると、動き出した電車は、想像上の一点を頂点にした扇形のふちに乗って、どこまでも走っていくのだ。
「ねえ、今年は、扇形の柄を控えめに使った服がはやるんだって」
