電車は開いた扇のふちを走る
5
この妻は僕の妻と似ているが、僕の妻ではない。僕の妻ではない女と親密にするのはいけないことだ。僕は他人の妻と親密になっている。そして、僕の妻はそれを知らない。僕の妻はそんなことなど思いもしないで、僕のいた世界で何事もなく暮らしているだろう。いや待てよ。僕がいなくなってしまっているのだから、向こうは大騒ぎをしているかもしれない。あるいは、…。
僕はここまで考えてきて、とてもつらい可能性を想像してしまった。こちらの世界にはこちらの僕がいたはずだ。だから僕は何の支障もなく、こちらで生活できるのだ。では、こちらの僕はどこへ行ってしまったのだ。その答えは、僕には何度考えても、僕と入れ替わりに向こうの世界に行ってしまったとしか思えなかった。つらいけれど、その可能性以外にあり得そうもない。僕の世界にいった僕は、僕の代わりに会社で仕事をして、僕の代わりにこの家で生活しているのだ。そして、僕の代わりに妻を抱いているはずだ。そう考えるとむやみに悔しくなった。あるいは、向こうの僕は世界が入れ替わったことに気付いているかもしれない。気付いて寂しくなって僕の妻を求めているかもしれない。そう考えるとよりいっそう悔しくなった。
僕は一刻も早く元の世界に戻りたい衝動に駆られた。電車の中で一方の窓から一つの扇形の頂点に集中したらこの世界に来たのだから、両方の窓に見える景色をバランス良く見ることに徹したら戻れるはずだ。僕はそれをすぐに試した。だが、うまくいかなかった。確かに両側の窓から景色は見えている。しかし、うまく見ることができないのだ。片方の景色を視界にとらえてもう片方を少しずつ視野に入れようとする。すると、目がちかちかして、頭がグラグラするのだ。吐き気に襲われ立っていられなくなる。僕は直感できた。この世界では、一度に対立する二つのものの見方をとらえることができないのだ。この世界の成り立ち方にその原因があるのかもしれないし、ここに生きる人間の能力に限界があるのかもしれない。または、その両方かもしれない。しかし、僕は苦痛に耐えながら何度かこの脱出法を試した。そのうちに、あることに気が付いた。僕の場合で言うと、もう一つの景色が全然入ってこないわけではなく、きわめてゆるやかにやると三割ぐらいまでは視界に入ってくる。しかし、そこまでやると激痛が走り、これ以上は生命が危険な状態になると思われる。きっとこの世界にしばらく暮らすうちに、偏ったものの見方に毒されてきたのだ。妻との会話、同僚や上司との会話、仕事上のつきあいなどを通してこの世界の流儀を知らず知らず吹き込まれたのだ。僕は、自分と考えが違っても特に反発しなかった。なぜなら、この世界は僕の住む世界ではなく、一時的な宿泊地だと考えたからだ。旅行先でいちいちもめたって仕方ない。ところが、そうはいかないみたいだ。ものの見方や考え方で明らかにおかしいと思うことがあったら異議を唱えなければならない。そうしないと自分の世界をなくしてしまう。自分をしっかりさせておくこと、それができれば両方の景色を一度に見ることができるに違いない。僕はあえて一人でこの世界と戦うことにした。
僕はここまで考えてきて、とてもつらい可能性を想像してしまった。こちらの世界にはこちらの僕がいたはずだ。だから僕は何の支障もなく、こちらで生活できるのだ。では、こちらの僕はどこへ行ってしまったのだ。その答えは、僕には何度考えても、僕と入れ替わりに向こうの世界に行ってしまったとしか思えなかった。つらいけれど、その可能性以外にあり得そうもない。僕の世界にいった僕は、僕の代わりに会社で仕事をして、僕の代わりにこの家で生活しているのだ。そして、僕の代わりに妻を抱いているはずだ。そう考えるとむやみに悔しくなった。あるいは、向こうの僕は世界が入れ替わったことに気付いているかもしれない。気付いて寂しくなって僕の妻を求めているかもしれない。そう考えるとよりいっそう悔しくなった。
僕は一刻も早く元の世界に戻りたい衝動に駆られた。電車の中で一方の窓から一つの扇形の頂点に集中したらこの世界に来たのだから、両方の窓に見える景色をバランス良く見ることに徹したら戻れるはずだ。僕はそれをすぐに試した。だが、うまくいかなかった。確かに両側の窓から景色は見えている。しかし、うまく見ることができないのだ。片方の景色を視界にとらえてもう片方を少しずつ視野に入れようとする。すると、目がちかちかして、頭がグラグラするのだ。吐き気に襲われ立っていられなくなる。僕は直感できた。この世界では、一度に対立する二つのものの見方をとらえることができないのだ。この世界の成り立ち方にその原因があるのかもしれないし、ここに生きる人間の能力に限界があるのかもしれない。または、その両方かもしれない。しかし、僕は苦痛に耐えながら何度かこの脱出法を試した。そのうちに、あることに気が付いた。僕の場合で言うと、もう一つの景色が全然入ってこないわけではなく、きわめてゆるやかにやると三割ぐらいまでは視界に入ってくる。しかし、そこまでやると激痛が走り、これ以上は生命が危険な状態になると思われる。きっとこの世界にしばらく暮らすうちに、偏ったものの見方に毒されてきたのだ。妻との会話、同僚や上司との会話、仕事上のつきあいなどを通してこの世界の流儀を知らず知らず吹き込まれたのだ。僕は、自分と考えが違っても特に反発しなかった。なぜなら、この世界は僕の住む世界ではなく、一時的な宿泊地だと考えたからだ。旅行先でいちいちもめたって仕方ない。ところが、そうはいかないみたいだ。ものの見方や考え方で明らかにおかしいと思うことがあったら異議を唱えなければならない。そうしないと自分の世界をなくしてしまう。自分をしっかりさせておくこと、それができれば両方の景色を一度に見ることができるに違いない。僕はあえて一人でこの世界と戦うことにした。
