電車は開いた扇のふちを走る

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 僕の戦いを一言で言うと、夏炉冬扇の意義を説くことだった。僕は妻との会話の中に冗談を少し混ぜるようにした。ウィンドウショッピングに二時間も三時間もつきあわせた。体力増強とは無関係な運動をした。笑い興じながらボーリングをしたり、歩いたり走ったり花を眺めたりというジョギングをしたり、それに類することをした。ところで僕の文章力ではあまり伝わらないと思っているけれども、この世界の人たちは本当に大真面目なのだ。ボーリング一つとっても、技術の向上か体力の向上か、目的がないとしないのだ。だからみんなきちんとした服装と態度で真剣にボールを転がしていて、場内はシーンと静まり返っている。どの競技も国際大会のように緊張しているし、どの教室も入試会場のように厳粛だ。どの家庭も宮廷のように厳かだし、どの職場も条約の調印式のように大げさだ。
 僕が妻にとった行為は効果てきめんだった。
「疲れたでしょう。お夕飯食べてお風呂に入って寝ましょう」
「うん、わかった。お夕飯に入ってお風呂を食べて君を布団にして寝ることにしよう」
 たったこれだけのやりとりでさえ、この世界の妻を不愉快にさせるのに十分だった。彼女は何日もしないうちに僕と話をすることを怖れた。そのうちに彼女の母親や姉から僕に電話がかかるようになった。 「仕事で疲れ気味だって聞いているけれど、病院でよく見てもらった方がいいんじゃないかしら」  僕はこの家庭にいることがどんどん困難になってきた。
 仕事場での反応はもっとラジカルなものだった。
「君のノルマは達成できそうもないじゃないか。どうしたんだね。しっかりしてくれ」
「はあ、僕はノロマなので、ゆっくりですがしかし確実に達成させるつもりです」
 この一言は効きすぎた。さすがにクビにはならなかったが、僕の社内での立場は風前の灯火になってしまった。その日の内に社員全員が僕を無視するようになった。上司に取り入ろうとか、上司ににらまれないようにしようという意識ではない。みんな自発的にこのような軽々しさ、不謹慎さを排斥する傾向にあるのだ。
 しかし、僕は戦った。夏炉冬扇の意義は誰も聞いてくれなかったが、説を持ち出して軽蔑されるようにはなった。もちろん冗談を言うだけではない。仕事のやり方で自分の意向にそぐわない時や、明らかに劣っている方法だと思う時は、あえて持論を展開するようにした。この世界の価値観は誰の中にも同じ一つのものしかないから、ことごとく僕が負けた。元の世界でも持論を展開して戦わなければならない時があるが、持論とはもちろん利己主義の論ではなく、自分なりに公正な論のことなので、必ず誰か味方がついてくれる。そして、熱心に丁寧に説明すれば、わかってくれる相手も多い。しかし、この世界ではだめだ。僕は文字通り一人で戦った。家庭に戻っても誰も慰めてくれない中で。満身創痍になり、窮地に追いつめられたが、心のバランスは回復したように思われた。やっぱり自分の言いたいことははっきりと主張するべきだ。僕はそんな簡単なことを改めて強く実感した。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 電車は開いた扇のふちを走る
◆ 執筆年 1997年7月