温泉街のエスカレーター

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 私はお釣りと缶ビールを受け取って、そばのイスで体のほてりを取りながら、ビールをゆっくり飲んだ。私はできればラーメンが食べたいという思いをまだ持っていた。
「あそこのラーメンはうまいよな」
「そうそう」
 そんな声を私の耳がキャッチした。振り向くと声の主は私の背後を歩いている二人連れだった。
「行ってみる?」
「いいね」
 二人連れは方向転換した。二人とも浴衣姿だった。そのうちに少し二人の背が縮んだ。不思議に思った。しかし、すぐに気づいて、私も缶ビールを飲み干し、缶をゴミ箱に捨てて、二人のあとを追った。
 やっぱりエスカレーターだった。
 乗ってから、いったん戻って浴衣を着ればよかったと思った。まあ、とにかく下に着いたら、上りのエスカレーターで戻ればいいと思い直した。
 意外と長いエスカレーターだった。うしろを見た。少し離れたところに一人の男が乗っていた。きちんと服を着ていた。私はタオル一枚であることが、少し不安になった。しかし、どうにかなるだろうと高をくくる気持ちのほうが優勢であった。
 エスカレーターはなかなか着かなかった。だんだんタオル一枚でラーメンを食べられる気がしなくなった。うしろを見ると、けっこうたくさんの男が乗っていた。みな服を着ていた。でなければ浴衣を着ていた。丸裸で乗っている男は一人もいなかった。タオル一枚の男は私一人だけだった。
 下の方が明るくなった。屋内の感じではなかった。空気も屋内の澱んだものとは違い、さわやかな高原のものに感じられた。
 目がまぶしくなり、それに慣れるのに若干時間を要した。エスカレーターは駅みたいなところに着いた。上りのエスカレーターはなかった。しかし、私はなんとかしてすみやかに脱衣場に戻らねばならなかった。私は外に出た。通行人の姿を認めた。私は、逃げるようにして建物の裏に回った。遠くに山が連なっていた。宿泊している旅館も見えた。私は建物の脇にある細い上り坂を歩いていった。細い道はすぐに温泉街に合流した。旅行者や地元の商店街の人たちでにぎわっていた。私は自分の姿を恥じた。ラーメン屋もあったが、とても入る気はしなかった。幸いに気候は温暖であった。夏に湯治に来たことが唯一の救いであった。これが冬の出来事であったなら、私はいったいどうしていただろう。しかし、そのことをじっくり考えている余裕はなかった。私はすれ違う若い女性グループの視線を感じ、燃え尽きてしまいそうだったからだ。土産物屋の店先に、Tシャツとハーフパンツを発見した。しかし、私の手には六五〇円しかなかった。ハーフパンツは買えなかったし、Tシャツは探せば買えたかもしれないが、よしんばそれを買って身に着けたとしても、私の外観を余計に滑稽にするためにしか役立たないような気がしたので、やめた。
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エスカレーター

【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 温泉街のエスカレーター
◆ 執筆年 2017年