温泉街のエスカレーター

prev

4

「あの階段を降りると、そこに露天風呂があります。また、そこにもエスカレーターがありまして、降りるともう一つ別の露天風呂があります。そして、そちらには本館直通の上りのエスカレーターがあります」
「そうだったんですか。それで、その下りのエスカレーターもやっぱり長いんですか」
「いえ、いえ、それは、すぐ着きますわ」
「では、もう一度行ってみます」私は旅館の入口に向かいかけた足を再び止めて、女将の方を振り向いた。「ところで、やはり浴衣ぐらいは着ていった方がいいんでしょうね」
「いえ、いえ、そんな必要はありません。もう降りたところが露天風呂になっていますから、みなさん浴衣などもお召しにならずに行かれてますよ」
「しかし、さっき降りていったときは、みんな服を着ていましたよ。少なくとも浴衣は着ていました。腰にタオルを巻いたのは私だけだったのです」
「町に行く人は服を着ます。でも、露天風呂に行く人はみんなタオル一つで降りて行かれますよ」
「そういうことだったのですか」
 私は女将と別れ、玄関に入り、脱衣場まで戻った。女将にはああ言われたが、なんとなく今度だけは、安全策を取って浴衣を着ておこうと思った。ところが脱衣場が見つからない。前と違う経路だったから、勝手がわからないのだ。突き当たりを曲がると、フードコートに出た。エスカレーターもすぐ近くだった。裸にタオル一つの男ばかりがぞろぞろ降りていく。いかにも露天風呂に行きそうな集団である。彼らの表情には微塵もためらいが感じられなかった。私は浴衣を着るのをどうしようかと思った。ためらっている私の後ろからまた何人か裸の男がやってきた。私はその集団に押されるような形でエスカレーターに乗った。
「玉ノ湯がいいかね」
「いや、今度は宝湯がいいね」
「いいね、宝湯にしよう」
 長いエスカレーターが下に着いたところは、前と同じだった。外への出口も同じだった。しかし、今回はそちらへは行かず、エスカレーターの裏側に階段を探した。階段があった。前の男たちはぞろぞろと階段を降りていった。私もついていった。階下には玉ノ湯の入口があった。男たちはそこに掛かる暖簾をくぐらず、別の方向へ進んだ。私は玉ノ湯と書かれた暖簾と男たちの後頭部を見比べた。男たちの後頭部はすぐに遠ざかった。少し経つと後頭部の位置が低くなった。下りのエスカレーターに乗ったのだった。私は玉ノ湯はこれでいつでも来られることになったから、先達がいるうちに宝湯を調査しておこうと思った。私は急いで男たちのあとを追った。
next
エスカレーター

【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 温泉街のエスカレーター
◆ 執筆年 2017年