温泉街のエスカレーター

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 私は急いで建物の中に入り、彼女に言われたとおり、階段を下がり、エスカレーターに乗った。エスカレーターから露天風呂の入口に掛けられた暖簾が見えた。中川という女子高生の言葉に当然納得のいっていなかった私は、エスカレーターを逆走してでも戻り、湯に浸かりたくて仕方なかったが、ぐっとこらえた。私が授業をしなければならないということがはっきりと記されたプリントを見せられては、事の真偽はともかく、とりあえず教室に向かってみなくてはなるまい。
 幸いなことにエスカレーターは旅館の脱衣所付近に到着した。私は、脱衣所に入り、手早く着替えて、下りのエスカレーターに乗り、テニスコートのところまで急いだ。中川はジャージ姿になって、ボールを追っていた。私が近づくと、テニス部員が一斉に顔を向けた。
「中川君、学校の門はどこだったかな」
 私は彼女に教わった方向に小走りした。
 校舎内に入り、事務室に顔を見せると、事務職員はみな笑顔で対応してくれた。事務職員の一人に導かれ職員室に入ると、教員たちもみな笑顔で対応してくれた。私の机には漢文を教える道具がそろっていた。隣の席の教員に案内されて、私は課外授業の教室に入った。私は彼女たちに大学入試過去問を解くように命じ、彼女たちが解答しているあいだに、その問題を解き始めた。二問目に差し掛かると、私が解説を苦手とする構文が出てきた。私がどう解説しようかと頭を悩ませていると、先ほど私をこの教室に案内した教員がドアを開けて顔を出した。
「先生、もう一つのクラスも同時に授業することになっているのですが」
「えー!」
 さすがに私は驚いた。しかし、もう一つのクラスの方は、ハイレベルのクラスなので、あらかじめ全員が問題を解いてあるのだという。私がまだ解き終わってないのだ、とは、さすがに口に出せなかったので、その教師のあとを付いて、もう一つのクラスに向かった。私はその教師に質問した。
「問題は同じなんですね」
「はい」
「時間の半分までハイレベルクラスで解説して、残りの半分でさっきのクラスですればいいんですね」
「はい」
「でも、そうしたらハイレベルの生徒は、そのあと何をするんですか」
「解説を理解したことを踏まえて問題を作成して互いに解き合うのです」
「なるほど」
 それは合理的でよい方法だと私は感心した。
「先生は、何の教科を教えていらっしゃるのですか」
「国語です」
 それを聞いて、私の中に勇気が生まれた。
「実は、恥ずかしいことなのですが、私はまだ予習を済ませていないので、今回だけそのクラスを先生に教えていただけませんか」
「いえ、いえ、それは無理なのです。何しろこの学校にはまともに漢文を教えられる教師がいないのです。それで、先生にこうして来ていただいたというわけでありまして」
 私がまだ何か言おうとすると、その教師は立ち止まって、教室のドアを開けた。
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エスカレーター

【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 温泉街のエスカレーター
◆ 執筆年 2017年